西円堂の仏像
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西円堂(さいえんどう)は西院伽藍の北西方、石段を上った丘の上に建つ八角円堂である。薬師如来を本尊とすることから「峰の薬師」の通称がある。内部には堂内一杯の空間を占める乾漆薬師如来坐像を安置する。このほか、薬師像の台座の周囲を取り巻くように十二神将像を安置し、薬師像の向かって右に千手観音立像を安置する。 乾漆薬師如来坐像 国宝。奈良時代。像高246.3センチ。西円堂の本尊として安置される脱活乾漆像。体躯はやや太りぎみで、衣文は深く表すが、全体に造形が単調で形式化していることが指摘されており、制作年代は奈良時代も末期の8世紀後半ごろと推定されている。千仏を表した光背は後補で弘安6年(1283年)の作。台座は八角の裳懸座で、大部分当初のものである。台座の框側面には木屎漆の盛上げで宝相華文を表している。西円堂自体は奈良時代の創建であるが(現在の建物は鎌倉時代の再建)、この薬師像の存在が確認できるのは大江親通の『七大寺巡礼私記』(保延6年・1140年)が初出である。同書の「講堂」の項には、当時西円堂が破損していたため、この薬師像は講堂に移されていたと記録されている。 木造十二神将立像 重要文化財。鎌倉・室町時代。像高75.7–96.0センチ。西円堂本尊薬師如来像の台座を囲んで外向きに立つ十二神将像。頭上に十二支の動物の標識を付ける。12躯すべてが同時の作ではなく、作風や制作時期の異なるいくつかのグループに分けられ、古い像は鎌倉時代作だが、一部の像は室町時代に下る。12躯ともヒノキ材で玉眼を用いるが、子神像と亥神像のみが一木造で他10躯は寄木造である。『奈良六大寺大観』は、亥神像は頭部が過大で制作年代が子神像よりやや下がり、巳神・午神・未神像がこれに次ぐとする。同書によれば、丑・寅・卯・辰・申・酉の各像は体勢が堅く、動きの少ない点に共通点があり、応永5年(1398年)に西円堂の修理が行われた際に造られた像かとし、戌神像はさらに時代が下るとする。『国宝法隆寺展図録』は、子神像と亥神像が古く、戌神像の時代が下るとする点は『奈良六大寺大観』と同様だが、子神像と亥神像の用材をヒノキでなくクスノキとする。同図録は、残り9躯のうち午神像と未神像の作が優れているとする。また、寅・卯・辰・巳・申・酉の各像を同一グループと見なし、丑神像はこれらとは別作と見ている 木造千手観音立像 重要文化財。平安時代。像高173.6センチ。もとは法隆寺子院の金光院にあった像で、一時期寺外に流出した後、1906年(明治39年)に法隆寺に寄進された。旧国宝指定当時は地蔵堂にあったが、その後西円堂に移されている。クスノキに似た材の一木造で内刳を施す。脇手は、左右各18本ずつの大手の他に、多数の小手を取り付ける。頭上の十一面は背後の1面を除いて後補。表面の彩色、台座、光背、天衣垂下部、各手の持物も後補である。11世紀末頃の制作とみられる。
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