「行幸(ギョウコウ, ミユキ)」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

行幸とは? わかりやすく解説

ぎょう‐こう〔ギヤウカウ〕【行幸】

読み方:ぎょうこう

[名](スル)《「ぎょうごう」とも》天皇外出すること。行く先が2か所以上にわたるときには巡幸という。みゆき。→行啓(ぎょうけい)


み‐ゆき【行幸/幸】

読み方:みゆき

【一】行くことを敬っていう語。特に、天皇外出をいう。行幸(ぎょうこう)。古くは、上皇法皇女院にもいったが、のちに御幸(ごこう)と音読し区別した

群臣或は帝に勤むるに浙(せつ)に—するを以てするあり」〈露伴運命

こちごち花の盛りに見(め)さずともかにもかくにも君が—は今にしあるべし」〈万・一七四九〉

【二】(行幸)源氏物語29巻の巻名光源氏36歳から37歳冷泉帝大原野行幸、玉鬘(たまかずら)の裳着(もぎ)の行事などを描く。


行幸

天皇外出されること。

行幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/16 09:56 UTC 版)

行幸(ぎょうこう、みゆき)とは、天皇が居所から外出することである。目的地が複数ある場合は特に巡幸という[1]




「行幸」の続きの解説一覧

行幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:42 UTC 版)

二条城」の記事における「行幸」の解説

寛永元年1624年):徳川家光将軍秀忠大御所となった寛永元年から、二条城後水尾天皇の行幸を迎えるため大改築始まった城域は西に拡張され天守拡張され西側位置変え廃城となった伏見城天守移築した作事奉行には小堀政一五味豊直(後の京都郡代)が任じられる尾張藩紀伊藩などの親藩譜代19家が石垣普請担当した寛永3年1626年):行幸は寛永3年9月6日1626年10月25日)から5日間に渡っておこなわれその間舞楽能楽鑑賞乗馬蹴鞠和歌の会が催された。この行幸が二条城最盛期である。行幸のために新たに建てられた行御殿上皇となった後水尾院御所移築、その他多く建物解体撤去された。 寛永11年1634年7月秀忠死後家光307千の兵を引き連れ上洛し、二条城入城したのを最後に二条城将軍迎えることは途絶え幕末の動乱期までの230年間、二条城歴史表舞台から姿を消す。 その230年の間に暴風雨地震落雷徐々に建物破損し老朽化する寛延3年1750年)には落雷により天守焼失。さらに京の町を焼き払った天明8年1788年)の大火の際には、飛び火原因本丸御殿隅櫓などが焼失した破損部分に関して修理が行われたが、失した建物について再築されることなく幕末迎える。 寛永2年1625年):二条城には、将軍不在の間の管理警衛のために二条城代二条在番設置された。 元禄12年1699年):二条城代廃止され、その職務二条在番担当することとなった文久2年1862年)閏8月交代制二条在番廃止され、それに代わって常勤制の二条定番設置された。なお、朝廷監視および折衝担当する京都所司代二条城の北に邸を構えそこで政務を執っていたため、将軍不在二条城幕府政庁としては全く使用されなかった。

※この「行幸」の解説は、「二条城」の解説の一部です。
「行幸」を含む「二条城」の記事については、「二条城」の概要を参照ください。

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行幸

出典:『Wiktionary』 (2021/08/18 12:16 UTC 版)

名詞

 ぎょうこう

  1. 天皇外出すること、みゆき
  2. 中国皇帝訪れること。

関連語


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