自暴自棄
読み方:じぼうじき
「自暴者、不可与有言也、自棄者、不可与有為也、言非礼義、謂之自暴也、吾身不能居仁由義、謂之自棄也」という孟子の言葉の中に「自暴」と「自棄」という文字が読める。現代語訳では「自分を駄目にする人間と共に語ることはできず、自分を捨てるような人間とは共に何かをすることはできない。そのような言葉でもって礼儀を軽んじる者を自爆と言い、己の身を仁の中に置くことができず、また義に反する者を自棄と言う」となり、孟子は「己という人間を軽んじることのないように」と説いたことが分かる。これが自暴自棄の由来である。
「やけくそ」とは、「自棄(やけ)」に「くそ」という言葉を足して強めたもので「物事がうまくいかず、なげやりな行動をとる」という意味である。失望の果てに行動を取るという点では自暴自棄と同じだが、自暴自棄になった結果さらに状況が悪化するのに対して、「やけくそ」の行動の場合は事態が好転する可能性を含む。たとえば「ボロボロに負けていた試合で、やけくそになってバットを振ったら逆転ホームランになった」というような状況が考え得る。
「悲観」とは、「良くない結果を予測して気を落とすこと」という意味である。自暴自棄がすでに起こった結果に対して失望しているのに対して、悲観はこれから起こるであろうことに対して気持ちが塞ぎ込んでいる点で異なる。
「捨て鉢(すてばち)」とは、「思うようにいかず、やけになる」という意味。「やけくそ」とほぼ同じ意味で用いられるが、「やけくそ」が切羽詰まった状況での投げやりな行動を表すのに対して、「捨て鉢」はその状況に加えて「結果を好転させる自信がない」というニュアンスを含む。
「自重(じちょう)」には、「自分を大切にして健康を損なわないようにすること」「自分を慎んで軽々しい言動をしないこと」という意味がある。これからを軽んじて自分の行動に責任を持たず、自傷行為に走ったり軽々しい言動をしたりしてしまう自暴自棄とは真逆の振る舞いを表す。
「自画自賛(じがじさん)」とは、「自分で自分のことを褒めること」という意味。「どうせ自分なんて……」と自嘲してしまいがちな自暴自棄に対して、「自分はこんなに素晴らしい」と自らを鼓舞していくところが自画自賛の特徴である。
自暴自棄とは
自暴自棄(じぼうじき)とは、意図した通りの結果にならず失望し、自分を駄目なものだと考えて、先のことを考えない行動をとることである。自暴自棄の由来
自暴自棄は、中国の戦国時代の儒学者、孟子の語った言葉に由来する。「自暴者、不可与有言也、自棄者、不可与有為也、言非礼義、謂之自暴也、吾身不能居仁由義、謂之自棄也」という孟子の言葉の中に「自暴」と「自棄」という文字が読める。現代語訳では「自分を駄目にする人間と共に語ることはできず、自分を捨てるような人間とは共に何かをすることはできない。そのような言葉でもって礼儀を軽んじる者を自爆と言い、己の身を仁の中に置くことができず、また義に反する者を自棄と言う」となり、孟子は「己という人間を軽んじることのないように」と説いたことが分かる。これが自暴自棄の由来である。
自暴自棄の用法と例文
自暴自棄は、希望を失ったことで投げやりな行動をしてしまい、自らを損なう振る舞いをしているときに用いる。自暴自棄の類語と使い分け
自暴自棄には「やけくそ」「悲観」「捨て鉢」などの類語がある。「やけくそ」とは、「自棄(やけ)」に「くそ」という言葉を足して強めたもので「物事がうまくいかず、なげやりな行動をとる」という意味である。失望の果てに行動を取るという点では自暴自棄と同じだが、自暴自棄になった結果さらに状況が悪化するのに対して、「やけくそ」の行動の場合は事態が好転する可能性を含む。たとえば「ボロボロに負けていた試合で、やけくそになってバットを振ったら逆転ホームランになった」というような状況が考え得る。
「悲観」とは、「良くない結果を予測して気を落とすこと」という意味である。自暴自棄がすでに起こった結果に対して失望しているのに対して、悲観はこれから起こるであろうことに対して気持ちが塞ぎ込んでいる点で異なる。
「捨て鉢(すてばち)」とは、「思うようにいかず、やけになる」という意味。「やけくそ」とほぼ同じ意味で用いられるが、「やけくそ」が切羽詰まった状況での投げやりな行動を表すのに対して、「捨て鉢」はその状況に加えて「結果を好転させる自信がない」というニュアンスを含む。
自暴自棄の対義語
自暴自棄には「自重」「自画自賛」などの対義語がある。「自重(じちょう)」には、「自分を大切にして健康を損なわないようにすること」「自分を慎んで軽々しい言動をしないこと」という意味がある。これからを軽んじて自分の行動に責任を持たず、自傷行為に走ったり軽々しい言動をしたりしてしまう自暴自棄とは真逆の振る舞いを表す。
「自画自賛(じがじさん)」とは、「自分で自分のことを褒めること」という意味。「どうせ自分なんて……」と自嘲してしまいがちな自暴自棄に対して、「自分はこんなに素晴らしい」と自らを鼓舞していくところが自画自賛の特徴である。
じぼう‐じき【自暴自棄】
自暴自棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 03:32 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ウィキペディアには「自暴自棄」という見出しの百科事典記事はありません(タイトルに「自暴自棄」を含むページの一覧/「自暴自棄」で始まるページの一覧)。 代わりにウィクショナリーのページ「自暴自棄」が役に立つかも知れません。 |
自暴自棄
出典:『Wiktionary』 (2021/08/13 01:04 UTC 版)
成句
出典
- 【白文】
- 孟子曰、自暴者、不可與有言也。自棄者、不可與有爲也。言非禮義、謂之自暴也。吾身不能居仁由義、謂之自棄也。仁人之安宅也。義人之正路也。曠安宅而弗居、舎正路而不由。哀哉。
- 【訓読文】
- 孟子曰はく、「自ら暴ふ者は、与に言ること有る可からず。自棄つる者、与に為すこと有る可からず。言、礼儀を非る、之を自ら暴ふと謂ふなり。吾が身仁に居り義に由ること能はずとす、之を自ら棄つると謂ふなり。仁は人の安宅なり。義は人の正路なり。安宅を曠しくして居らず、正路を舎てて由らず。哀しき哉」と。
- 【現代語訳】
- 孟子が仰った、「捨て鉢になる者とは共に語り合えない。やけを起こす者とは共に行動できない。礼儀を蔑ろにする発言をすること、これを『捨て鉢になる』という。『私には仁に立脚し義に基づいた生き方などできない』と言うこと、これを『やけを起こす』という。仁は、人の安住できる家である。義は、人の正しい道である。安住できる家を空にして住まず、正しい道を捨てて通らないとは、哀しいことではないか」。
発音(?)
- じ↗ぼーじ↘き
翻訳
- 英語: abandon, abandonment, desperation, self-despair
「自暴自棄」の例文・使い方・用例・文例
- 失恋して彼女は自暴自棄になった
- 彼はその事故のあと自暴自棄に陥った。
- 第一次志望の大学に入れなかったからといって、自暴自棄になるなよ。
- 宗教は、自暴自棄になった移民達を哀れんで助けを与えた。
- 自暴自棄になるな。
- 自暴自棄な病。
- 司教は、自暴自棄になった移民たちを哀れんで助けを与えた。
- その学生は自暴自棄になった。
- 自暴自棄[やけっぱち]になって; 考えあぐんで.
- 自暴自棄に陥る[深い悲しみに沈む, 眠りに落ちる].
- 失恋して自暴自棄になる青年もいる.
- その夜は自暴自棄な気分になって痛飲した.
- 失恋の結果彼は自暴自棄に陥った
- これは不幸には違い無いが自暴自棄を起こしてはいけない
- 激しい恐れまたは自暴自棄の状態に陥る
- 安楽または成功への望みを放棄した時の自暴自棄な気持ち
Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。
自暴自棄と同じ種類の言葉
- 自暴自棄のページへのリンク