自宅での軟禁からの脱出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:12 UTC 版)
自宅のある村の中には7-8重の監視網があり、7,80人から数百人規模で監視されていたが、2012年4月22日に自宅の塀をよじ登り脱出、村の外に出て支援者に連絡した後、車が来るまで20時間一人で身を潜めていた、その後北京のアメリカ大使館に保護された。その後中国大使館で彼と面会した胡佳は当局に連行された。その後返された胡佳は、陳光誠がミャンマーのアウンサンスーチーをモデルとしていると語った。 保護された後、亡命する意思はないことを表明、また軟禁中に自身や妻や母が暴行を受けたことなどについて温家宝首相に捜査を要求している。彼の妻である袁偉静は彼が拘禁中の2006年にも警察から暴行を受けて入院している。 事件発生後の5月3日から2日間、米中間では第4回戦略・経済対話が行われ、ヒラリー・クリントン国務長官、ティモシー・ガイトナー財務長官が訪中することとなっていたが、この問題について事前に協議するため、4月29日、カート・キャンベル国務次官補が予定より早く北京を訪問した。 対話開始の前日、中国側が陳の安全を保証したため、大使館から出て北京市内の病院で妻や子どもと再会した。クリントン国務長官は中国政府が安全保証をするため、亡命はせずに陳が中国にとどまると声明を発表した。しかしその後、陳は夜中に危険を感じたとし、報道機関を通じて、自身と家族の保護をバラク・オバマアメリカ大統領に訴えた。陳夫妻と直接電話で通話した国務省のビクトリア・ヌーランド報道官は中国にとどまる意向がないことを夫妻が明確に示したと述べた。 中国外務省報道局の劉為民(中国語版)参事官はクリントン国務長官の声明について、内政干渉であり、アメリカ大使館は国際法と中国の法律を守る義務があり、アメリカ側に謝罪、関係者の処罰を求めたと述べた。 5月3日からの米中戦略・経済対話の冒頭でクリントンは陳については言及しなかったが、中国に人権尊重を求めた。一方、中国の戴秉国国務委員は、中国は発展途上国としての国情があると対応した。 5月4日、国務省のビクトリア・ヌーランド報道官は中国政府が陳と家族がともにアメリカに出国することを認める意向を表明したと発表した。また中国外務省も「留学を希望する場合、他の中国公民と同様の手続きを行えば関係部門が手続きを行う」と出国を容認した。 5月6日、ジョー・バイデンアメリカ副大統領は、アメリカはすぐに査証を与えられるよう準備をしているとNBCの番組で語った。 5月11日、陳の兄の子が殺人の疑いで拘束されていることがわかった。おいは陳が自宅から脱出した後の4月26日、地元当局者10人が陳の捜索に訪れ、家にいたものやおい本人が殴られたことから、ナイフで反撃し、その際当局者1名が重傷を負った。 5月19日、妻と子ども2人を伴って、北京首都国際空港からアメリカ合衆国ニューヨークへ出国した。 その後5月29日、ボイス・オブ・アメリカにより、山東省の幹部が解任されたこと、それが陳の出国による責任を取らされたものと推測する報道がなされた。
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