脱走
収載図書ショートショートの広場 '86
出版社講談社
刊行年月1986.7
脱走
脱走
作者南条範夫
収載図書代表作時代小説 26(昭和55年度) 〔新装版〕
出版社東京文芸社
刊行年月1988.5
収載図書時代小説を読む 忍之巻
出版社大陸書房
刊行年月1990.12
収載図書日本妖忍列伝
出版社大陸書房
刊行年月1992.3
シリーズ名大陸文庫
脱走
脱走
脱走
脱走
脱走
脱走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/28 05:17 UTC 版)
脱走(だっそう)とは、束縛されている場所から抜け出して逃げることである[1]。
捕虜収容所からの脱走
第二次世界大戦中、連合国側は将兵に対してドイツ軍の捕虜収容所からの脱走を奨励しており、脱走の専門要員をわざと捕虜にさせて収容所に送り込み、脱走計画の指揮を取らせていた。これは脱走者が出ればその捜索に多くの人員が割かれ、その分だけ敵の戦力を削ぐ事が出来る為である。
中でも有名なのは1944年、ドイツ軍の第3捕虜収容所でイギリス空軍のロジャー・ブッシェル少佐指揮のもと起こった大量脱走で、後にこの史実を元に名画『大脱走』が製作された。
軍隊における脱走
軍人軍属が正規の手続きを踏まずに部署を離れる事を脱走や脱柵と呼ぶ。規律を乱すため軍法で処罰される。英語では、戻る意思の無い脱走であるdesertionと、一時的な無許可離隊であるunauthorized absence (UA) ないしabsent without leave (AWOL、エイウォールと発音) とに大別できる。UA・AWOLは、許可を得て外出して、定められた帰営時間に遅刻した場合も含む。
戦闘中の脱走は特に敵前逃亡と呼ばれ、平時における脱走よりも重罪で死刑など重刑に処されることが多い。敗走中など規律が弛んでいる場合に起こりやすい。軍事的に半数の損害が出る事を全滅というのは近代以前においてそれほどの損害が出れば脱走が相次ぎ部隊が自然消滅してしまったからである。
また当然ながら本人の意思に反して徴兵される場合や、軍隊および政権の正当性や支持に問題がある場合に起こりやすい。さらに新しい環境に慣れず、しごきに遭いやすい新兵の時期がもっとも脱走が多い。
自衛隊では脱柵と呼ばれる。
刑務所等からの脱走
日本では刑務所や留置場からの脱獄は逃走罪となり最高1年の懲役、手錠や収容房を破壊しての脱走は加重逃走罪となり最低3ヶ月最高5年の懲役に処される(刑法第97・98条)。
少年院からの脱走
少年院等に関しては、少年院法第十四条にて連れ戻しに関しての規定が定められている。なお、2011年に少年院から鉄格子を切断して脱走した少年の例では、建造物損壊罪の容疑で指名手配が行われた例がある[2]。大量脱走の例では、1951年5月21日に東京医療少年院(当時代々木に所在)から20人が脱走した事件がある[3]。
相撲部屋からの脱走
映画
- 大脱走 (1963年)
- 穴 (1960年の映画) - 1947年に起こったパリ市内サンテ刑務所での脱走事件を基にしている。
- 脱走四万キロ (1964年) - ドイツ兵がイギリス軍捕虜収容所から脱走。
- 脱走山脈 (1968年) - 英兵の捕虜が象に乗ってアルプスを越えて脱走する。
- マッケンジー脱出作戦 (1970年) - ドイツ軍将兵がスコットランドの捕虜収容所から脱走を図る。
- 空中大脱出 (1972年)
- 脱走遊戯 (1976年) - 主演:千葉真一、製作:東映による日本映画。
- 勝利への脱出 (1980年)
- 9000マイルの約束 (2001年) - ドイツ兵がシベリアの捕虜収容所から脱走し、3年がかりでユーラシア大陸を横断して帰還。
- 大脱走 コルディッツ収容所 (2005年)
- 兵隊やくざ (1965年) 大宮貴三郎と有田三年兵が機関車で脱走する。劇中において「脱走兵は憲兵に銃殺にされる」という台詞があるが、通常の脱走では銃殺にされることは敵前逃亡を除いてありえない。
参考文献
- エリック・ウィリアムズ『トンネル脱走作戦』中尾明(訳)、講談社、1972年
- パトリック・リード『コルディッツ大脱走』皆藤幸蔵(訳)、光文社、1973年
- パトリック・リード『続コルディッツ大脱走』皆藤幸蔵(訳)、光文社、1974年
- ポール・ブリックヒル『大脱走』工藤 政司(訳)、早川書房、1977年
- 高橋武智『私たちは、脱走アメリカ兵を越境させた…ベ平連/ジャテック、最後の密出国作戦の回想』(作品社、2007年)
出典
- ^ デジタル大辞泉「脱走」
- ^ “少年院脱走事件:手配の18歳を逮捕 大阪府警”. 毎日新聞. (2011年9月23日). オリジナルの2011年9月25日時点におけるアーカイブ。 2011年9月24日閲覧。
- ^ 「20名脱走し16名捕る 作業衣ハダシで」『朝日新聞』昭和26年5月21日
関連項目
脱走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 07:22 UTC 版)
ハインズはオハイオ刑務所から逃げ出す道を発見した。小説『レ・ミゼラブル』を読んだことがあり、ジャンヴァルジャンとフランスのパリの地下にある通路を抜けたヴァルジャンの逃亡にアイディアを得たと言われている。ハインズは日光が射すことが無くても下の方の独房が乾燥して感じられ、カビが生えていないことに気付いた。このことでトンネルを掘って逃げることが可能だと考えた。推定していたように独房の下に空気室があることを発見した後に、トンネルを掘る作業を始めた。このトンネルはわずか18インチ (46 cm) の幅しかなく、重い石組みで囲まれた4フィート (1.2 m) x 4フィートの空気室にやっと入ることのできる大きさだった。ハインズとモーガンと共に逃げることになる他の6人がトンネル掘りを行う間、獄吏にトンネルを見つからないように薄い土の板が使われた。トンネル掘りに6週間を使った後で、その出口は監獄の内壁と高さ25フィート (7.6 m)ある外壁の間の石炭集積所近くに出た。脱獄の日の1863年11月26日、モーガンはその独房を弟のリチャード・モーガン大佐と入れ替わった。その日は北軍の新しい軍隊指揮官がコロンバスに来ることになっており、独房がその時に検査されることが分かったので選ばれた。毎日行われた夜中の検査の後で、ハインズ、モーガンおよびモーガン隊に居た5人の大尉が脱獄にトンネルを使った。監獄の歩哨がこのときに起こった激しい嵐を避けていたという事実にも助けられ、南軍の士官達は金属製のフックを使って造作もなく高さ25フィートの壁を越えて逃亡した。 ハインズは看守のためにメモすら残した。それには「忠実で油断の無い看守N・メリオン殿」とされ、「キャスル・メリオン、独房20号室、1863年11月27日。1863年11月4日開始。1863年11月20日完了。1日当たり労働時間3時間。道具は2つの小さなナイフ。『辛抱強さと苦闘、その成果が実った(ここのみフランス語)』私の栄誉ある6人の南軍兵の命令による」と続けられていた。残されたものは家捜しされ、オハイオ刑務所の別の独房に移された。ハインズやモーガンと共に脱獄した中の2人、ラルフ・シェルドン大尉とサミュエル・テイラー大尉は4日後にケンタッキー州ルイビルで捕まったが、他の3人(ジェイコブ・ベネット大尉、L・D・ホッカースミス大尉およびオーガスタス・マギー大尉)はカナダと南部にうまく逃げおおせた。 ハインズはモーガンを連れて南軍の前線に戻った。最初にコロンバス中心街の鉄道駅に到着し、シンシナティ行きの切符を買った。この2人はシンシナティ駅に入る前に列車から飛び降りた。シンシナティでも捕獲を避け続け、一晩はケンタッキー州バーズタウンのベン・ジョンソンの家に滞在した。テネシー州では、ハインズがモーガンから北軍の注意を逸らし、ハインズ自身は再度捕まって絞首刑による死の宣告を受けた。ハインズはその夜見張りをしていた兵士と話をして、機会を捉えて兵士を抑え、逃げ出した。数日後にもハインズを絞首刑にしようとした北軍兵から再度逃げた。
※この「脱走」の解説は、「トマス・ハインズ」の解説の一部です。
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脱走
「脱走」の例文・使い方・用例・文例
- その囚人は脱走を試みたが失敗した
- 3人の囚人がきのう刑務所から脱走した
- 刑務所から脱走する
- 兵士が大勢軍隊から脱走した
- 脱走した水兵たちは処罰された
- とうとう彼は脱走に成功した
- その脱走者は追い詰められたとき何の抵抗もしなかった
- 教会は脱走者をかくまった
- その脱走犯人は再び強盗をして刑務所に戻ってきた。
- 彼女はハーレムから脱走した。
- パンを持って犬が脱走した。
- あなたはニュースを聞いた?象が脱走したって。
- 彼らは脱走のために仕事を分担する。
- 彼らは脱走のために役割を分担する。
- 彼は刑務所から脱走することを決める。
- 彼女は彼をそそのかして刑務所を脱走した。
- 彼女は彼をそそのかして刑務所から脱走させた。
- 彼女は脱走兵をかくまった。
- 彼は塀を乗り越えて刑務所から脱走した。
- 彼は脱走するたびにこの土地に帰ってきた。
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