縄釣の戦い
縄釣の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/23 01:49 UTC 版)
詳細は「縄釣の戦い」を参照 永正11年(1514年)の竹林の戦いで佐竹義舜・岩城由隆勢に勝利してから2年後の永正13年(1516年)6月、常陸国の戦国大名佐竹義舜は再び陸奥国の戦国大名岩城由隆とともに大軍を率いて下野国に侵攻。 忠綱は父・成綱と出陣し、佐竹義舜・岩城由隆勢と下野国上那須庄浄法寺縄釣で対峙し、一戦した。結果は大勝で佐竹義舜・岩城由隆勢は撤退。宇都宮勢はそのまま追撃し、下野国武茂庄で一戦し勝利、さらには常陸国の月居まで侵攻して佐竹義舜・岩城由隆勢に壊滅的な被害を与えた。 近臣である永山忠好の文書から、この合戦で佐竹方の城や砦を多数落としたことが判明している。 この合戦で足利政氏の敗北は決定的になり、足利高基は名実ともに古河公方となった。これによって高基の義父である宇都宮成綱や義兄弟である忠綱の権威も相対的に強化され、また、佐竹氏との覇権争いに勝利し、下野宇都宮氏は全盛期を迎えた。
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