結審
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 03:59 UTC 版)
3年以上継続した審理も終結し、1987年7月に検察側は論告求刑でAに懲役8年を求刑した。しかし、この論告は25分で終了するなど、弁護側の印象によれば検察側は戦意喪失に近い状態であり、対する弁護側には、山田洋次や田村高廣といった映画人など200人が裁判所に対して慎重審理を求める署名を送るなど、支援の声が集まっていた。 事件から3年8か月後の1987年11月10日、横浜地裁刑事第二部はAに対して無罪判決を言い渡した。争点とされた扼痕の有無については「頸部外表所見からみて、その頸部に何らかの外力が加わったと認められる、明らかな痕跡は存在しない」としてこれを否定し、Aの自白についても任意性は認めたものの、内容と現場の状況が食い違い、動機も薄弱であるとして信用性は否定された。判決は概ね内藤鑑定に依拠したが、鑑定人の間で意見の割れた筋肉内出血については、稲村鑑定には信が置けず、木村鑑定にも無理があり、石山鑑定は不自然であり、内藤鑑定にも疑問の余地があり、つまりは結局よく分からない、との結論に終わった。最終的には、被害者の死因を他殺と認めるには合理的な疑いがあることが無罪の理由とされた。 同月18日に検察側は控訴を断念し、Aの無罪は確定した。判決後、Aは解雇されていた会社に復職し、1日当たり6800円の刑事補償を3年8か月分受け取った。
※この「結審」の解説は、「山下事件」の解説の一部です。
「結審」を含む「山下事件」の記事については、「山下事件」の概要を参照ください。
結審
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:35 UTC 版)
大分地裁での第1審は、1987年(昭和62年)7月13日の第44回公判での被告人質問をもって証拠調べを終えた。検察の論告求刑は、同年9月14日の第45回公判で行われることに決まったが、検察側の準備が間に合わず、12月24日の第46回公判に大幅に延期された。 検察は、論告で「被害者が一人で帰宅したことを察知するとともに、日頃かわいい女の子と思っていた被害者が廊下に出て風呂の口火に点火する物音などを聞き、性的想像をたくましくしてますます性的衝動を強め、それを抑制できないまま本件強姦の犯行に及んだものと認められる」として極悪非道な犯行と断じ、また、輿掛の公判での対応も「狡猾な態度に終始した」として、無期懲役を求刑した。 弁護側は、翌1988年(昭和63年)2月1日の第47回公判で最終弁論を行い、科警研の毛髪鑑定は信用性に欠けること、捜査段階での「自白」は過酷な取り調べで心身ともに疲弊していた輿掛に対して指紋や体毛が出ているといった虚偽の事実を告げた上で家族との面会と引き換えに強制された虚偽自白であり任意性・信用性がないこと、102号室の住民の証言は202号室の風呂で水を使う音を聞いたとしながら205号室の住民がトイレの水を流す音や周囲の誰もが聞いている木のツッカケで外階段を下りるカンカンという大きな音を聞いていないなど不自然であること、被害者が犯人に噛みついて吐き出したと思われる血液の混じった唾液があったにもかかわらず輿掛にはそのような咬傷がなかったこと、巡査に自分から声を掛けたり201号室の住民に事件のことを伝えるなど犯人と思えない行動をとっていること、被害者は生理中であったにもかかわらず輿掛の衣類等から被害者の血液が発見されていないことなど、検察側の主張に反論して無罪を主張した。 これをもって第1審は結審し、判決は同年4月25日に言い渡されることが決まった。閉廷後、弁護団のもとには弁護側の最終弁論を傍聴していた全国紙の記者が複数集まり、口々に「無罪になりますね」と声をかけた。
※この「結審」の解説は、「みどり荘事件」の解説の一部です。
「結審」を含む「みどり荘事件」の記事については、「みどり荘事件」の概要を参照ください。
結審
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 12:29 UTC 版)
「新潟小2女児殺害事件」の記事における「結審」の解説
2021年12月16日に開かれた弁論で検察側は、Kには犯行時強固な殺意があったと主張し、一審同様に死刑を求刑した。これに対し、弁護側は、有期刑が相当と主張した。被害者参加制度を利用して意見陳述を行った被害者女児の両親は、改めてKを厳罰に処すよう求めた。
※この「結審」の解説は、「新潟小2女児殺害事件」の解説の一部です。
「結審」を含む「新潟小2女児殺害事件」の記事については、「新潟小2女児殺害事件」の概要を参照ください。
結審
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:33 UTC 版)
「別府3億円保険金殺人事件」の記事における「結審」の解説
1978年(昭和53年)6月9日、山口地方裁判所において出張尋問が行われ、母と妹を失った長男が証言に立った。長男は裁判官に対して「この男を死刑にしてほしい」と訴えた。これを聞いた荒木は号泣し、「君の誤解だ。大人になったら、ゆっくり話し合おう。君の妹たちを死なせた十字架は一生背負う。」と語りかけた。荒木が法廷で涙を見せたのはこの時だけである。 大分地裁での審理は、1979年(昭和54年)5月25日の第62回公判で証拠調べを終え、検察側は7月20日に行われた第63回公判の論告求刑で死刑を求刑した。荒木は「検事は強がりをやめ男らしく本件を取り下げなさい、税金のムダ遣いだ」と嘲笑した。 弁護側は9月17日の第64回公判で最終弁論を行い、鮮魚商の証言は時間が経つほど具体的・断定的になっていることや車の色の問題などから「調書の段階においても内容の真実性はうすく、公判で証言するに至っては、調書にすら記載されていないような重大なことを断定的に述べる等、全く信頼するに足りない」とし、牧角教授や松倉教授による「法医学鑑定は科学的でない」などとして無罪を主張した。荒木は翌9月18日の被告人最終陳述で、改めて「事故」は妻の運転ミスであると主張し、「検察の論告は、犯罪の立証とは次元のことなる私生活に対し誹謗中傷をくわえた、前代未聞の珍論告である!」、「本件は、検察官の無能さを、世間にしらせた点で、大きな功績がある!」、「(元同房者Tは)正常な常識や判断力を全く有していない知恵足らずの男」で「嘘を吐く事をまるで日常茶飯事のごとく思っており、いささかの罪悪感も感じておらぬ」などと約2時間にわたって警察・検察・証人らを批判した。
※この「結審」の解説は、「別府3億円保険金殺人事件」の解説の一部です。
「結審」を含む「別府3億円保険金殺人事件」の記事については、「別府3億円保険金殺人事件」の概要を参照ください。
結審
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「結審」の解説
1987年7月28日・29日の両日に2被告人の弁護人による最終弁論が行われた。 第191回公判(28日)ではまず、被告人Mの弁護人が、約2時間半にわたって弁論を行った。 富山事件(無罪を主張) 「誘拐ではなく、北野から頼まれた通り、富山駅までAを迎えに行っただけだ。事件当夜、Aを北野に引き渡して帰宅したが、翌日未明に北野から電話で呼び出され、殺害を打ち明けられた。このようなMの供述は、初公判の2か月前から弁護人に述べていたもので、信用できる」 長野事件(北野との共謀を主張) 「北野は現場付近でテレビを見てアリバイ工作をした。Bのカーディガンに付着していたMの毛髪は、実行行為中に付着したとは限らない」 量刑などについて 「Mは謝罪の気持ちから読経を学ぶなど、反省を深めている。死刑廃止論が高まっていることなどから、懲役刑が妥当だ」 次いで、北野の弁護人は「北野は両事件とも関与しておらず、無罪だ」とした上で、続く第192回公判(7月29日)まで、2日間にわたって弁論を行い、以下のように陳述した。その中では、事件を題材にした小説を書いた佐木隆三・井口泰子がそれぞれ執筆した原稿の一部も朗読された。 北野弁護団の主張 「検察が有罪主張の根拠としている北野の自白調書や、Mの供述はいずれも信用できない。北野はネフローゼで衰弱している中、連日夜遅くまで取り調べを受けたり、取調官から『男として責任を取れ』『認めても懲役3年で済む』など、脅迫を交えた甘やった説得を繰り返し受け、調書をM供述と合わせながら作文させられた。Mへの取り調べも、『北野が関与している』との予断を持った取調官と、北野に罪をなすりつけようとしたMが迎合し合い、Mが取調官を騙していく形で進められたものだ」 「北野の『Mから嘘の金儲け話を聞かされ、それを信じて行動をともにしていただけで、誘拐は知らなかった』という主張は、一貫しており信用できる。それを裏付ける第三者の証言も多数得られている」 その後、両被告人がそれぞれ最終意見陳述を行い、Mは「自分は両事件とも、殺害の実行行為はしていない」と訴えた一方、北野は全面的に無罪を訴えた。これをもって、公判は初公判から6年10か月ぶりに結審した。 結審後の同年12月7日、北野の母親は長野事件について、息子の拘置理由開示請求を行った。結審後の拘置理由開示請求は当時、異例のケースだったが、大山裁判長は同月10日に開かれた法廷で、「北野が長野事件の際、Mと行動をともにしていたこと」「犯行を認めた自白調書があること」「Mから『北野と共謀した』という供述がなされていること」「北野本人が無期懲役を求刑されていること」などを挙げ、「現時点でも北野への嫌疑は肯定でき、事件の性格上、逃亡のおそれがある」と拘置理由を説明した。これに対し、北野の母親と主任弁護人の黒田、そして北野本人は、それぞれ冤罪や早期釈放を訴えた。
※この「結審」の解説は、「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の解説の一部です。
「結審」を含む「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事については、「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の概要を参照ください。
結審
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 01:34 UTC 版)
「東池袋自動車暴走死傷事故」の記事における「結審」の解説
第一審の審理は、2021年7月15日の公判で結審した。同日はまず、被害者遺族らの意見陳述が行われ、それぞれ被告人に厳罰を科すよう求めた。続く論告で、検察官は「車に不具合は認められず、事故原因は明らかに被告人の運転ミスによるものだ。弁護人の『車の電子制御が誤作動した』という主張は、(電子系統に異常を感知する複数の仕組みがあることなどから考えて)常識的に考えられない」と主張。その上で、「被告人は不合理な弁解に終止し、被害者や遺族への真摯な謝罪をしておらず、酌量の余地はない」と訴え、過失運転致死傷罪の法定刑としては上限となる禁錮7年を求刑した。 一方、被告人の弁護人は最終弁論で無罪を求め、「事故の原因は踏み間違いではなく、電子系統の不具合が起きた可能性を排斥できない」と主張。「被告人の『ブレーキを踏んでいた』という主張は信用できる」と訴えた上で、事故直後からマスコミ報道などによって「事故原因は踏み間違い」と断定的に報じられ、被告人が有罪のように扱われたり、匿名で数々の脅迫を受けたことを挙げ、「苛烈な社会的制裁を受けた」と主張した。 最終意見陳述で、被告人は遺族 (C・Dら) への謝罪の言葉や、「もう少し早く運転をやめていればよかった」といった反省の言葉を述べたが、アクセルとブレーキを踏み間違えたことについては「記憶にない」と否定した。
※この「結審」の解説は、「東池袋自動車暴走死傷事故」の解説の一部です。
「結審」を含む「東池袋自動車暴走死傷事故」の記事については、「東池袋自動車暴走死傷事故」の概要を参照ください。
結審
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 21:11 UTC 版)
「オスカー・スレイター事件」の記事における「結審」の解説
5月6日に審理は最終日を迎え、残すところは検察側・弁護側双方の最終弁論、そして陪審に向けた裁判官説示(英語版)ばかりとなった。 ユア法務次官は、2時間にわたる検察側最終弁論をメモも持たずに喋り通した(これについて、著名な法廷弁護士のエドワード・マーシャル・ホール(英語版)は後に「だからあんなに間違いが多かったんだろうよ」と語っている)。ユアはあくまでスレイターの高飛びを主張し、12月25日の新聞に名前が載せられてから突然スレイターが姿を消したことをその論拠とした。 しかし、25日はスレイターがクラブ仲間によって警察に通報された当日であって、その名前が新聞に載せられたのはさらに1週間後のことである。また、スレイターが住居を引き払ったのはクラブ仲間の通報よりも前の時刻である。さらにユアは最終弁論になって初めてスレイターとギルクリストの関係について言及し、「この婦人がこうした宝石類を所有していたことを如何にして被告人が知るようになったか、それはあとで説明することにします」と述べた。そして、説明せずに弁論を終えた。 対する弁護側は、誤った犯人識別が冤罪を生んだアドルフ・ベック事件 (en) を例に挙げ、先入観を捨て事実のみに基いて評決を下すよう陪審に語りかけた。しかし、その直後の裁判官説示でガスリー判事は、陪審に向けて「被告人は己が身を養うのに男たちの零落によったり、女たちの堕落を喰いものにしたりして、多くのゴロツキでさえも敢えてしようとはせぬやり方で過去数年を送って来ました」と、審理で証明されなかったことを事実であるかのように語った。それにとどまらず「その男の生活は何年ものあいだウソであったばかりでなく、今日もウソなのです」と人格攻撃を行い、「このような類の男には、あの自己に有利な無罪の推定を受けるという恩恵が与えられないからです」として無罪推定の原則を否定してみせた。 以上の最終弁論と説示を聞き終えた陪審団は、70分間の合議の後、有罪9票・「証明なし(英語版)」5票・無罪1票の過半数でスレイターを有罪と評決し、ガスリーはスレイターを5月27日にグラスゴー刑務所で処刑すると言い渡した。 判決の際、スレイターは覚束ない英語で叫んだ。 裁判長、私の父も母も、かわいそうな年寄りです。私は自ら進んでこの国へ来ました。自分の権利を守るために来たのです。その事件のことなど、私は何も知りません。あなたは無実の人間に有罪の判決を下そうとしているんです。〔ガスリー、弁護人に対してスレイターに発言を控えるように忠告することを命じる。〕 裁判長、私はどう言ったらいいのか、わかりません。私がアメリカから、今度の事件のことなど何も知らずに、このスコットランドにやって来たのは、公正な裁判を受けたいと思ったからです。私はその事件のことなど、何も知りません。全然何も知らないんです。その名前だって聞いたことがありません。事件のことなどまったく知らないんです。どうしてその事件と結びつけられるのか、わからないんです。そんなことは何も知らないんです。私は自ら進んでアメリカからやって来たんです。私に言えるのは、ただそれだけです。 — 評決・判決記録中になされたスレイターの発言
※この「結審」の解説は、「オスカー・スレイター事件」の解説の一部です。
「結審」を含む「オスカー・スレイター事件」の記事については、「オスカー・スレイター事件」の概要を参照ください。
結審
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 14:33 UTC 版)
「福山市独居老婦人殺害事件」の記事における「結審」の解説
差戻控訴審は2004年(平成16年)1月16日の公判で結審し、同日の最終弁論で検察官は死刑適用(第一審・無期懲役判決の破棄)を、弁護人は検察側の控訴棄却(第一審判決支持)をそれぞれ求めた。検察官は「Nは仮釈放中、格段に法規範を守るべき立場にも拘らず、さらなる凶悪犯罪を犯した。酌むべき事情は見当たらず、上告審の意を酌み、死刑を適用するほかない」と訴えた一方、弁護人は「14年9か月間受刑してきた被告人Nが実社会に適応できなかった理由は、刑務所の矯正機能に問題があったからだ」「被告人Nは死刑を覚悟しており、贖罪のため臓器提供の意思もある。その『贖罪の自由』を奪う刑罰である死刑は憲法違反だ」などと主張した。
※この「結審」の解説は、「福山市独居老婦人殺害事件」の解説の一部です。
「結審」を含む「福山市独居老婦人殺害事件」の記事については、「福山市独居老婦人殺害事件」の概要を参照ください。
結審
「結審」の例文・使い方・用例・文例
- 結審になった.
結審と同じ種類の言葉
品詞の分類
名詞およびサ変動詞(訴訟) | 審問 審尋 結審 判決 開廷 |
名詞およびサ変動詞(終了) | 検了 終息 結審 終結 完了 |
- >> 「結審」を含む用語の索引
- 結審のページへのリンク