結党(1987-1993)
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「同盟 (イタリア)」の記事における「結党(1987-1993)」の解説
北部同盟の最も主要な前身政党はヴェネツィア同盟で、同党は1983年の総選挙で初めて地方政党として国会議席を獲得した政党であった。それに続くのが1987年に書記長ウンベルト・ボッシを国政に送り出したロンバルディア同盟であり、両党は欧州議会選挙で選挙連合「北部の国民」を結み、1991年に発展的に解消させる形で北部同盟が結党された。 北部同盟は税金を中央政府に集めてから地方経済に見合わせて再分配する財源制度を「ローマ・ラドローナ」(Roma ladrona、ローマの政府は大泥棒だの意)と呼び、戦後イタリアの集権制の象徴として厳しく批判した。また貧しい南部からの国内移民(出稼ぎ労働者)、国外からの外国人移民が北部の富を奪っているとも主張された。従来の地方主義者の票だけでなく、タンジェントポリで既存の左翼・右翼の大政党に失望していた労働者層の一部は北部同盟を支持して、同盟結成は成功を収めた。1992年の総選挙で北部同盟はほぼ無名の状態から一挙に56名の下院議員と17名の上院議員を獲得して、政界再編の中心となった。地方政界でも1993年のミラノ市長選挙で党内左派に属するマルコ・フォルメンティーニが当選を果たした。
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