米国議会図書館に収められた録音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 15:38 UTC 版)
「ジェリー・ロール・モートン」の記事における「米国議会図書館に収められた録音」の解説
1938年5月、アラン・ローマックスは米国議会図書館用にモートンとのインタビューを録音することを始めた。その活動は、もともとは音楽研究家たちが米国議会図書館で用いるための、短い音楽の標本を採集することを意図されていたのだが、すぐに8時間以上にわたるモートンの談話とピアノ演奏とを録音し、おまけに、ローマックスはメモは取ったが録音はしないというより長い取材も行われた。これらの非商用の録音は音質が悪かったにもかかわらず、その音楽的、歴史的重要性はジャズ・ファンを魅了した。またその録音の一部は、商業的にも繰り返し出版され続けている。これらの取材は、ジャズの歴史におけるモートンの地位を確実にする手助けとなった。 ローマックスは、モートンのストーリーヴィルでの日々と、ストーリーヴィルで演奏されている低俗な歌のいくつかについて、非常に興味を持っていた。モートンはそれらのことについて語ったり録音したりすることを渋々引き受けたのだが、結局はローマックスに感謝することになった。モートンの「ジェリー・ロール」という愛称には性的な意味があり、彼のストーリーヴィルでの日々から作った彼の詩は低俗だった。米国議会図書館の録音の一部は、その低俗さのせいで、20世紀の終わり近くになるまでリリースされなかった。 モートンは自分が1890年生まれであることを知っていたが、ジャズの実際の創始者として彼自身に有利な主張をするためには少しばかり若すぎた。そこで彼は、実際よりも5歳年上だと見せていた。研究により、モートンは彼の人生の初期の出来事のいくつか(おそらく彼が初期の曲を最初に作曲した日付も)を、数年早く言っていたことがわかった。そしてモートンは、バディ・ボールデンはジャズではなくラグタイムを演奏していたのだと説明していたが、これはニューオーリンズの他の同年代の人々から反論された。しかしながら、モートンが過去を振り返って語ったそれ以外のことは、信頼できるものだと判明した。
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