第二次スーダン内戦
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第二次スーダン内戦(だいにじすーだんないせん)は、1983年に当時のヌメイリ政権が国政にイスラム法を導入したことに南部の非アラブ系住民(大半が黒人でアニミズム、一部キリスト教徒)が反発し勃発したスーダンの内戦である。2005年までほぼ22年間続いたことから約250万人が犠牲になり、400万人以上が国内避難民になり、80万人以上が隣国への難民となった。この内戦で、南部のヌエル族やディンカ族の子どもたち約2万人が居住地を追われて孤児となり、ロストボーイズ・ロストガールと呼ばれる集団避難民となった。
- ^ Lee J.M. Seymour, Review of Douglas Johnson, The Root Causes of Sudan’s Civil Wars. African Studies Quarterly, African Studies Quarterly, Volume 7, Issue 1, Spring 2003 (TOC). Accessed 10 April 2007.
- ^ What's happening in Sudan?, Sudanese Australian Integrated Learning (SAIL) Program. Archived 27 December 2005 on the Internet Archive. Accessed 10 April 2007.
- ^ Clammer, Paul (2005). Sudan: Bradt Travel Guide. Bradt Travel Guides 2011年3月22日閲覧。
- 1 第二次スーダン内戦とは
- 2 第二次スーダン内戦の概要
- 3 和平協定
- 4 関連項目
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