ふくだ‐ひでこ【福田英子】
福田英子 ふくだ ひでこ
岡山生まれ。婦人運動家。父は岡山藩士。明治15年(1882)岸田俊子の遊説に影響を受け、自由民権運動に参加、私塾蒸紅学舎を開設。17年(1884)解散を命ぜられ上京。大井憲太郎らの朝鮮改革運動に加わり、18年(1885)逮捕投獄される(大阪事件)。22年(1889)大井の内縁の妻となるが離別。その後結婚した福田友作とは33年(1900)死別した。女子実業学校を開設し、平民社の社会主義運動にも参加。40年(1907)『世界婦人』を創刊し、主筆として婦人解放を主張。足尾銅山鉱毒事件の支援活動にも尽力した。
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
福田英子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 22:50 UTC 版)
福田 英子(ふくだ ひでこ、1865年11月22日(慶応元年10月5日) - 1927年(昭和2年)5月2日)は、江戸時代末期(幕末)から昭和初期にかけての日本の社会運動家。婦人解放運動のさきがけとして知られ、「東洋のジャンヌ・ダルク」と称された[1]。旧姓は景山。
- ^ a b c d e 村上信彦『明治女性史 中巻前編』理論社、1969年、pp.101 - 127
- ^ 「妾の半生涯」青空文庫
- ^ 鈴木範久(1983年)152-153ページ
- ^ 「自由党史を飾った女太夫、死去」『東京朝日新聞』1927年5月5日(昭和ニュース事典編纂委員会(編)『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編、毎日コミュニケーションズ、1994年、p.627に掲載)
- ^ 景山楳子 かげやま うめこ コトバンク
- ^ 沢田正文『人事興信録. 5版』
- ^ 『石川三四郎著作集』第8巻、青土社、p273
- ^ 『山陽新聞七十五年史』山陽新聞社、1854, p249
- ^ a b c d 古河史逍遥No.71 福田英子(ひでこ)と間中村 - ウェイバックマシン(2018年8月26日アーカイブ分)古河史楽会(古河の歴史を楽しむ会)2016年7月18日
- ^ a b 福田友作『南方熊楠を知る事典』
- ^ 町田自由民権資料館「アメリカからの便り―1880/90年代の渡米青年たち―」展 8、南方熊楠とアナーバーの仲間たち - ウェイバックマシン(2021年1月26日アーカイブ分) 東京成徳大学 人文学部 日本伝統文化学科 鶴巻孝雄研究室
- ^ a b 日本最初の労働運動『日本で初めて労働組合をつくった男 評伝・城常太郎』(牧民雄、同時代社、2015年)著者ホームページ
- ^ a b c 浪 底本:石川三四郎、平民新聞 第73号~第102号、1948
- ^ 『石川三四郎著作集 自叙伝』青土社
- ^ 『乱歩の軌跡』平井隆太郎、東京創元社, 2008/07/28
福田英子と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 福田英子のページへのリンク