神州丸
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神州丸(神洲丸、しんしゅうまる)は、大日本帝国陸軍が発案し海軍の協力の元に開発・建造・運用した揚陸艦(上陸用舟艇母船)(詳細は後述)。存在秘匿のためにR1、GL、MT、龍城丸(りゅうじょうまる)等の名称も使用されている。帝国陸軍では特種船に分類され、その第1号(第1船・1番船)となり同型船は無い。
- ^ 空母赤城は佐世保海軍工廠で多段式空母から一段全通飛行甲板へ改造中[55]。当時の第22駆逐隊は睦月型4隻(皐月、水無月、文月、長月)、第30駆逐隊は睦月型4隻(睦月、如月、弥生、卯月)[55]。
- ^ 蒼龍は航空隊を飛龍に移し、内地で待機した。
- ^ 当時の第三水雷戦隊は、軽巡川内、第20駆逐隊(天霧、朝霧、夕霧、狭霧)、第21駆逐隊(初春、子日、初霜、若葉)。三水戦・第21駆逐隊の駆逐艦子日は同年7月からハノイへ先行進出し、つづいてハイフォンへ移動していた[58]。
- ^ 第七戦隊各艦の艦長は、第七戦隊1番艦熊野艦長田中菊松大佐、第2番艦鈴谷艦長木村昌福大佐、3番艦三隈艦長崎山釈夫大佐、4番艦最上艦長曾爾章大佐[79]。
- ^ 第五水雷戦隊の編制は、長良型軽巡名取、第5駆逐隊(朝風、春風、松風、旗風)、第22駆逐隊(皐月、水無月、文月、長月)[80]。
- ^ 第48師団を乗せた東部ジャワ島上陸船団38隻は、第二水雷戦隊や第四水雷戦隊護衛下で2月19日にホロ島を出港した[82]。
- ^ 佐倉丸・神州丸および、魚雷を回避しようと急旋回した輸送船龍野丸は船体が傾斜した状態で着底、蓬莱丸は水平状態で着底。
- ^ モリソン博士の『太平洋の旭日』では「駆逐艦吹雪の魚雷が神州丸などを撃沈した」と記述しており、木俣滋郎著『日本空母戦史(1977)』158頁ではモリソン書の記述を採用している[113]。木俣著『日本水雷戦史(1986)』114頁では「最上の魚雷」として『日本空母戦史』の記述を訂正している[114]。
- ^ 第5駆逐隊所属の駆逐艦松風は、この時点で空母龍驤を護衛しており別働中だった。
- ^ 注・第五水雷戦隊の駆逐艦のほかに、第三水雷戦隊からの増援艦艇が参加している。
- ^ 注・第七戦隊の最上、三隈。
- ^ 曾爾「重巡最上出撃せよ」268頁では、鶴見は3月4日に潜水艦の雷撃で沈没したと記述している[120]。実際は3月1日に雷撃されて中破して内地へ帰投、修理後の鶴見はミッドウェー作戦にも参加した。1944年(昭和19年)8月5日、鶴見は潜水艦セロの雷撃で沈没した。なおバタビア沖海戦時、鶴見と同型艦の知床型給油艦襟裳が付近を行動しており、最上等に対し補給を実施していた[90]。3月4日、襟裳は潜水艦S-39の雷撃で撃沈され、由良や松風が乗組員を救助している[90]。
- ^ 軍艦「海鷹(かいよう)」は、貨客船あるぜんちな丸を改造した軽空母[130]。
- ^ ロバロ―艦長は、真珠湾攻撃時の太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将の長男マニング・キンメル少佐であった[137]。
- ^ 松山光治少将は1942年(昭和17年)8月当時の第十八戦隊(天龍、龍田)司令官で、外南洋部隊指揮官三川軍一中将(第八艦隊司令長官、旗艦「鳥海」)のガダルカナル島突入作戦に直訴して同行を許可され[143]、天龍と臨時指揮下の夕張と夕凪を率いて第一次ソロモン海戦に参加した[144]。
- ^ 『日本空母戦史』685頁や『日本軽巡戦史』557頁では「ギタローの雷撃を回避しようとした有馬山丸が神州丸に衝突した」と記述し、潜水艦ピクーダの襲撃については触れていない。
- ^ 『日本軽巡戦史』557頁では香椎と神州丸の護衛は千振のみとし、第19号海防艦については記載していない[146]。第19号海防艦主計長は、淡路轟沈後の19号は、ヒ65船団所属船を護衛して高雄に入港したあと、あらためて神州丸護衛のため再出撃したと回想している[153]。
- ^ 第19号海防艦主計長は「神州丸は基隆近海を単独で航海していた」と回想する[154]。
- ^ 6月8日から9日にかけて、ミ05船団が台湾基隆に寄港した[156]。6月10日から11日の高雄寄港後、ミ05船団に有馬山丸が加わった[157]。
- ^ 『日本空母戦史』825頁によれば、南ミンドロ島より発進したA-20双発地上襲撃機 ハボックで、日本側は双発のB-25型中爆撃機と誤認した[191]。
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- ^ 山型波線の意匠は、旭日を意匠とする「軍旗(連隊旗)」の制定と同時期(明治時代最初期)に「大隊旗」として制定されたものであり、近代日本においては陸海軍のシンボルの一つとして広く用いられていたものである。海軍においても山形波線と碇を意匠とする海軍大臣旗(旧:海軍卿旗)として明治最初期に制定されている。
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