矢延平六
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矢延 平六(やのべ へいろく、慶長15年(1610年) - 貞享2年7月1日(1685年7月31日))は、日本の江戸時代に、主に讃岐国(現・香川県)で活動した土木技術家。現在の高松市に上水道を敷設したといわれ、讃岐国に数多くのため池を築いた[1]。名を叶次(やすつぐ)[2]、可次ともいう。
- ^ 『讃岐のため池』420-423ページ「矢延平六」
- ^ 『飯山町誌』299-300ページ「仁池」「矢延平六」昭和63年8月発行、編集飯山町誌編さん委員会、発行飯山町、制作第一法規出版株式会社
- ^ 『讃岐のため池』308-311ページ。「高松上水道」は、完全地下埋没形の導水路で城下に水を配っている点で神田上水とは異なる。
- ^ 『讃岐のため池』380-387ページ「宮奥池」
- ^ 『飯山町誌』300ページ「矢延平六」。 『讃岐のため池』212-215ページ「仁池」
- ^ 『夫留佐土54号』30-39ページ「矢延平六について書かれた中尾家文書(南正邦)」ふるさと研究会発行、2008年
- ^ 『讃岐香川郡誌』879-891ページ「浅野村の水波売神社と矢野部平六の話」。 『讃岐のため池』292-295ページ「新池」
- ^ 『人形の里』讃文社、1979年、133-187ページ「ひょうげの里矢延平六様をたづねて」
- ^ 『人形と共に』讃文社、1994年、113-122ページ「ひょうげまつりの祭神矢延平六様を訪ねて」
- ^ 『飯山町誌』300ページ。 『さぬき・人・ここにあり』119-123ページ「矢延平六、ため池を造って水不足に苦しむ農民を救った人(津山勝義)」公益社団法人 香川県教育会編、2013年
- ^ 『歴史民俗紀要』33-42ページ「矢延平六の墓所についての聞き書き(南正邦)」高松大学生涯学習教育センター内歴史民俗協会刊、2006年
- ^ 特別展「ヤノベケンジ シネマタイズ」ヤノベケンジ×矢延平六「リサーチプロジェクト」 - 高松市美術館ウェブサイト
- ^ 『讃岐人物傳』225ページ。「矢野部伝六」1913年。福家惣衞著。『讃岐香川郡志』879ページ。「浅野村の水波売神社と矢野部平六の話」1944年。香川県教育教育会香川部会発行。国立国会図書館デジタルライブラリー
- ^ 津森明「矢野氏の謎」『矢延平六翁没後300年追善報謝大法要』香川県立図書館所蔵
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