しん‐ぎ【真偽】
真偽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 08:56 UTC 版)
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関連項目
真偽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 14:08 UTC 版)
この話は古くから真偽は疑われている。大きな要因として、当時の朝廷の記録および清盛の記録にこの工事のことが全く記されていないためである。 清盛が安芸守であったこと、厳島神社を造営したこと、大輪田泊(現神戸港)や瀬戸内の航路を整備した事実があり、この海峡両岸一帯の荘園“安摩荘”は清盛の弟である平頼盛が領主であったことから、この海峡に清盛の何らかの影響があった可能性は高い。記録がないのは、源氏による鎌倉幕府が成立して以降平氏の歴史が消去されていったためと推察されている。地元呉市ではこの伝説は事実として語られている。 一方で、偽説であるとする根拠はいくつかある。地理学的に考察するとそもそもつながっていなかったとする説がある(下記参照)。日本全国に点在する日招き伝説の起源は劉安『淮南子』内の説話で、そこから広まったことが定説となっている。にらみ潮も『淮南子』の中に同じような話がある。人柱の代わりに小石に一切経を書いたという伝承は、『平家物語』では経が島のことである。 文献で見ると、1389年(康応元年)今川貞世『鹿苑院殿厳島詣記』にはこの海峡を通過した情景は書かれているが清盛のことは一切書かれておらず、現在もこの地に残る清盛塚にある宝篋印塔が室町時代の作であることから、この伝説が単なる作り話であるならば室町ごろに成立したものと考えられている。時代が下ると、1580年(天正8年)棚守房顕『房顕覚書』に「清盛福原ヨリ月詣テ在、音渡瀬戸其砌被掘」、安土桃山時代に書かれた平佐就言『輝元公御上洛日記』には「清盛ノ石塔」が書かれている。この話が広く流布したのは江戸時代後期のことで、評判の悪かった清盛が儒学者によって再評価される流れとなったことと寺社参詣の旅行ブームの中でのことである。中国山地壬生の花田植にこの伝説の田植え歌があることからかなり広い範囲で伝播していたことがわかっている。この地の地名起源と清盛(平家)伝説とが結びついた話はこうした中で文化人や地元民が創作したものと推定されている。ただ近代では、清盛伝説は大衆文化での人気題材にはならなかったこと、代わって軍人など新たなヒーローが好まれたことなどから、この伝説は全国には伝播しなかった。
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真偽
「真偽」の例文・使い方・用例・文例
- 警察は容疑者の自白の真偽を調べている
- 真偽の判断ができない
- 彼の報告の真偽のほどは疑わしい。
- この話はまたぎきなので真偽のほどは分からない。
- 報告の真偽をチェックする.
- 報告書の真偽は私が調べましょう.
- (事の真偽・将来に関する)決定的なテスト.
- 彼はその陳述の真偽を論じた.
- 事の真偽は知らない.
- 硬貨を鳴らして真偽をためす.
- 事の真相[真偽].
- 真偽を識別する.
- そのニュースの真偽はわからないが一応お伝えする.
- 事の真偽は保証しかねる.
- この報告の真偽はまだ確かではない.
- しかしその後に起きたことを考えると彼があの時言ったことの真偽を疑いたくなる.
- 真偽を確かめてみよう.
- 真偽のほどは確かではない.
- また聞きだから真偽のほどは分からない.
- 真偽を見届ける
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