直木の「タニマチ」医師、薄恕一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 23:44 UTC 版)
「直木三十五」の記事における「直木の「タニマチ」医師、薄恕一」の解説
直木の母方の叔父の親友が、相撲界でパトロンを指す「タニマチ」の語源となった医師薄恕一である。薄の経営する大阪谷町六丁目「薄病院」に、病弱な直木は幼稚園児のころから通院。19歳のころにはアルバイトで学費も稼ぐなど、物心両面で世話になっている。このため、直木は作家となった後も薄への感謝を忘れず、自叙伝「死までを語る」で、「薄恕一氏の紹介で、小学校の代用教員になる事になった。」「殆ほとんど育つか、育たぬか分らなかった私が、とにかく、四十三まで、生きて来られたのは、この人が居られたからである。」と綴っている。また、薄は、直木の弟「清二」の名づけ親にもなっている。
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