目長田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 12:41 UTC 版)
古くは目名潟・目名形・女名潟と表記されたこともあり、雄物川の氾濫によって生じた潟を開拓したことによって生じた集落の意とされる。江戸時代初期の史料である梅津政景日記には「めなかた」「行方」「目奈潟」「目長田」の表記が混在しており、このうち「行方」は佐竹氏の旧領であった常陸国行方郡(なめかたぐん)から連想された誤記と推測される。 地名の由来は、菅江真澄は女名潟・男名潟によるものとするが(月の出羽路)、古い方言で川の屈曲・沼・支流・細流・汀を指す「メナ」と「潟」の組み合わせであるとする説もある。
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