東北陸軍講武堂
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東北陸軍講武堂(とうほくりくぐんこうぶどう)は、清朝末期から中華民国(北京政府)期にかけて奉天に存在した陸軍軍官学校である。その時期によって盛京講武堂(奉天講武堂)・東三省講武堂・東三省陸軍講武堂・東北陸軍講武堂と名を変えるが、一貫して中国の近代軍隊の充実のため日本でいう陸軍士官学校に相当する役割を担っており、最盛期には雲南陸軍講武堂・保定陸軍軍官学校・黄埔軍官学校と並んで「四大軍官学校」とも称された。1931年の満州事変によって奉天が日本軍の占領下に置かれると共に消滅した。
- ^ 盛京将軍を「奉天将軍」とも称するため、盛京講武堂も「奉天講武堂」とする資料もある。
- ^ “这些开国将军的毕业照好帅气”. 人民网. (2018年1月) 2018年9月9日閲覧。
- ^ 郭 1993, p. 53.
- ^ 郭 1993, p. 51.
- ^ 原文:「因困難当頭,開学無期,東北講武堂停辦,学員提前畢業,回原部隊任職。」
- ^ “特稿:东北陆军讲武堂——刘少奇任职中共满洲省委书记第一站(组图)”. 中紅网—紅色旅游网. (2017年7月20日) 2018年9月9日閲覧。
- 1 東北陸軍講武堂とは
- 2 東北陸軍講武堂の概要
- 3 主な卒業生
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