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皇紀と建国記念の日とは? わかりやすく解説

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皇紀と建国記念の日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 13:49 UTC 版)

ヤマト王権」の記事における「皇紀と建国記念の日」の解説

神武天皇橿原宮での即位は「辛酉年」正月であることから、『日本書紀』編年から遡って紀元前660年相当し、それを紀元とする紀年法が「皇紀」(神武天皇即位紀元)である。西暦1940年昭和15年)は皇紀2600年にあたり日中戦争戦時下にあったためもあり、「紀元二千六百年記念行事」が国を挙げて奉祝された。この年生産開始され零式艦上戦闘機いわゆるゼロ戦」)は皇紀の下2が「00」にあたるところからの命名である。 また、神武天皇即位日は『日本書紀』によれば辛酉春正月庚辰朔」であり(中国665年つくられ日本692年から用いられた『儀鳳暦麟徳暦)』によっている)、これは旧暦1月1日ということであるが、明治政府太陽暦採用にあたり1873年明治6年)の「太政官布告」第344号で新暦2月11日即位日として定めた根拠は、西暦紀元前660年立春最も近い庚辰の日新暦2月11日相当するとされたためであった。この布告もとづき戦前2月11日紀元節として祝日とされていた。紀元節は、大日本帝国憲法発布の日(1889年明治22年2月11日)、広田弘毅発案による文化勲章制定日(1937年昭和12年2月11日)にも選ばれ昭和天皇即位後は四方拝1月1日)、天長節4月29日)、明治節11月3日明治天皇誕生日)とならび「四大節とされる祝祭日であった紀元節太平洋戦争大東亜戦争終結後1948年廃止された。「建国記念日」を設置する案は度々提出されたが神武天皇実在の真偽などから成立には至らず1966年妥協案として「の」を入れた建国記念の日」が成立した国民の祝日に関する法律祝日法第2条では、「建国記念の日」の趣旨を「建国をしのび、国を愛する心を養う」と規定しており、1966年昭和41年)の祝日法改正では「国民の祝日」に加えられ今日至っている。 『日本書紀』雄略以降元嘉暦中国443年作られ日本691年まで単独使用された(翌年から697年までは儀鳳暦併用))で暦日記しているが、允恭以前『日本書紀』編纂当時現行暦である儀鳳暦拠っている。船山大刀銘が「大王世」と記す一方稲荷山鉄剣名が「辛亥年」と記すことから、まさに雄略朝に元嘉暦は始用され、それ以前には、まだ日本では中国暦による暦日用いられていなかったと考えられている。むろん7世紀つくられ儀鳳暦用いられていたはずもなく、神武即位日を新暦換算することは不可能である。

※この「皇紀と建国記念の日」の解説は、「ヤマト王権」の解説の一部です。
「皇紀と建国記念の日」を含む「ヤマト王権」の記事については、「ヤマト王権」の概要を参照ください。

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