疑惑の人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:39 UTC 版)
「プブリウス・ウァレリウス・プブリコラ」の記事における「疑惑の人」の解説
ブルトゥスの死後、単独の執政官となったウァレリウスは補充執政官選挙を行わず、人々を見下ろす丘の頂上に家を建設し始めた。人々はこれを見て、彼は王位を狙っているのではと恐れた。それを知ったウァレリウスはすぐに自らの屋敷を解体し、「王となろうと試みる者はいかなる時においても殺されるべき」という法や、ローマ市民の自由と権利を守るウァレリウス法、すなわち死刑宣告を受けた場合に人々に不服申立てのアピールが出来る (Provocatio) という法などを制定する。ポメリウムではリクトルのファスケスから斧を取り外すよう定めたのも彼であるという。ウァレリウスを疑っていた人々もこれには喝采し、プブリコラというあだ名を贈った。 その後、ブルトゥスの代わりの補充執政官選挙が行われ、ルクレティアの父ルクレティウスが選出されたが、高齢のため程なく死去し、更に代わりとしてマルクス・ホラティウス・プルウィルスが選出された。
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