異例の昇進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 22:09 UTC 版)
1586年(天正14年)、家康の三男(嫡子)・秀忠に出仕する。1605年(慶長10年)に秀忠が将軍職を襲職して以降は江戸での勘定頭として、駿府城での松平正綱とともに幕府の財政政策に携わり、佐渡奉行をはじめ天領の管理も担当した。 1615年(元和元年)、徳川秀忠は大坂の陣からの帰途、近江国石部宿から三上山の荒廃状況を検分、勘定奉行であった康勝に植林と保護を指示した。康勝は住民に稚苗を育成させ、1619年(元和4年)からアカマツ、クリ、アオギリなどの植林を行った。 1622年(元和8年)の本多正純改易では上使として山形に赴き、正純の詰問に成功。正純失脚の一役を担った。寛永元年(1624年)には新将軍徳川家光に属した。1633年(寛永10年)2月には、徳川忠長改易後の甲斐に入り、甲府城番を担当し、同時に3,000石の加増を受けて大名に列し、徳美を居所とした。
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