とっ‐こう〔トク‐〕【特攻】
特攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 17:30 UTC 版)
大西瀧治郎中将は特攻用として爆装零戦を使用するよう命令し、1944年(昭和19年)10月20日に編成が終了した。敵戦闘機の攻撃を独力で排除して敵艦船に突入できる機体は零戦以外ないとするものであった。また量産体制が確立されていたことも零戦を特攻機に選定する理由の一つになった。零戦の搭載量は最大で700kg程度あり、500kg爆弾までならば搭載が可能だった。 1945年(昭和20年)、零戦五二丙型の主翼中央内部に特設の爆弾架を設けた試作機が完成した。特設爆弾架は従来の機体下面に突出する懸架装置と異なり、胴体内部に機械式の鉤(フック)を設け、この鉤に爆弾の弾体中央部に設けられたフックを掛けて吊るものだった。また胴体下面には、飛行中の風圧で爆弾が振動しないよう、弾体を4点でおさえる弾体制止用の小さな突起が埋め込み式に設けられていた。ほか爆弾の先端と後尾につけられた風車つきの信管には、ピアノ線の「風車押え」が通された。爆弾は操縦席からの手動操作によりワイヤーを介して鉤が外れ投下される。さらに左右主翼下に容量150リットルの統一型増槽を装備した。こうした改修を踏まえて零戦六二型が派生した。 ほか特攻に転用された零戦二一型、零戦三二型は、九九式二五番通常爆弾一型、もしくは一型改一を搭載した。 特攻で使用された零戦五二型以降の爆戦に搭載した爆弾は、1945年(昭和20年)春ごろからすべて500kg爆弾(五〇番通常爆弾二型)に変えられた。この対艦用爆弾は全重507.3kg、下瀬火薬を221kg充填の徹甲爆弾であったが、貫通性能は不満足なもので70mm装甲を完全に貫通する威力は持たなかった。1945年(昭和20年)6月には、爆戦零戦がもはや二五番通爆の爆装を施していないこと、搭載する爆弾は五〇番通常爆弾二型または改一であることが報告され、爆戦零戦の爆弾架は五〇番に限定すべきであると指摘された。 500kg爆弾を搭載した爆戦零戦の運動性は著しく低下した。1945年(昭和20年)4月16日、鹿屋基地では零戦に500kg爆弾を搭載し特攻するよう命令が下った。これに対し搭乗員は懸念を示した。まず離陸が難しいため、出撃するだけでも相当な技量が必要とされた。エンジン出力を全開にして離陸しても速力がつかなかった。機は上昇力に欠け、飛行場いっぱいを這うように飛行してもなかなか浮上しなかった。50mほどの高度をとるのにも時間がかかっている。
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