やき‐うち【焼(き)討ち/焼(き)打ち】
焼き討ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 05:50 UTC 版)
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関連項目
焼き討ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 05:55 UTC 版)
日付が8月15日に変わって1時過ぎ、佐々木は「国民神風隊」のうち20名を「東京の戒厳警備」の名目で招集し、自動車3台を連ねて東京に向かう。早まった決起は細かいところで混乱と錯誤を生み出しており、焼き討ちのためにガソリンを持ち出したつもりが、実際には重油を持ち出していた。4時30分ごろに官邸まで約200メートルに達した所で下車し、軽機関銃を発射して官邸内に突入。当時、官邸の警備は薄く内部には留守番役の迫水久常内閣書記官長と、迫水の実弟で内閣嘱託の迫水久良しかいなかったため侵入自体は易々とおこなわれたが、焼き討ちの実行に移るも撒いたのが重油であったため、火が付ききらないうちに消されてしまった。ここで警備の警察官が隊に接近し、鈴木が小石川区丸山町の自宅にいることを隊に教えたため、佐々木は自動車を丸山町の鈴木邸に差し向けることとなった。小径に難渋したものの5時30分ごろに鈴木邸に到着した佐々木らは邸に乱入して鈴木を捜索したが、鈴木は間一髪で逃げたあとだった。鈴木邸を焼失させた後は淀橋区西大久保の枢密院議長平沼騏一郎邸に向かい、7時ごろに到着して平沼邸も焼き討ちにした。次に外務大臣東郷茂徳の邸宅に向かうも、太陽が高く上りつつあったのでいったん鶴見に引き返すこととした。佐々木は厚木航空隊事件に乗っかろうと小園安名海軍大佐との連携を図ったが、すんでのところで憲兵に踏み込まれて有志とともに逮捕される。ところが、終戦の混乱で取り調べどころではなく、佐々木は旅団に引き渡されるも、及川源七陸軍中将邸に入った際に裏口から抜け出して脱走した。宮城事件は失敗に終わり、佐々木の行動だけが「喜劇じみた幕間劇」の観を呈して終わった。
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「焼き討ち」の例文・使い方・用例・文例
品詞の分類
名詞およびサ変動詞(攻伐) | 傷害 焼打ち 焼き討ち 賊害 擾害 |
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