無名の王による大西洋探検は実在の出来事か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 03:37 UTC 版)
「アブバカリ2世」の記事における「無名の王による大西洋探検は実在の出来事か」の解説
ウマリーの(大西洋探検に関する)所伝は、他の文献による裏付けが一切ない。トンブクトゥに伝わるより詳細な年代記群(『探求者の年代記』(Tarikh al-Fettash)と『スーダーン年代記』(Tarikh al-Sudan))に同じ話を収録するものはない。2,000艘もの舟を準備する大事業であれば、イスラーム世界にそのことが知られていたはずである。とりわけ、マンサー・ムーサーが王位に就く前の時代からマリと良好な関係にあったエジプトでには知られていた蓋然性が高いにもかかわらず、常に周到な情報を収集するイブン・ハルドゥーンでさえも、この探検については何も報告していない。 中世のセネガンビアの歴史研究分野における著名な研究者であるレモン・モニ(フランス語版)は、14世紀始め頃の西アフリカで大西洋横断のために必要なものを手に入れることが技術的にも物流的にも不可能であったとする。その一方で、ジャン・ドゥヴィス(フランス語版)やサード・ラビーブ(Sa’ad Labib)はその可能性を排除せず、少なくとも、大西洋横断の試みは実行されたはずだとした。とはいえ、彼らもその試みが成功したことについては懐疑的である。もしもマリ人たちの舟がうまく成功していたとすると、カリブ海方面へ向かう海流を利用してアメリカへたどり着いた可能性があるが、このルートを辿った可能性は否定されている。ガウス・ジャワラは、ブラジルの沿岸に彼らがたどり着いたと主張するが、たどり着けたはずはない。また、アマゾン川に入ることも、流れが海に向かっているので不可能であったであろう。 ギニアの歴史研究者、マディナ・リュ=タル(フランス語版)は、マンサー・ムーサーの前王の指揮下では大西洋横断航海が実りなき試みに終わったであろうことは認めながらも、そのことは、マリ帝国におけるセネガンビア地方及び海洋、並びに、両者を繋ぐ通行路としてのセネガル川・ガンビア川の河口地域には何らの影響も与えなかったことを強調する。リュ=タルはポルトガル勢の到来によってはじめて変化が起きたとした。
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