無名から東洋最強へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 00:23 UTC 版)
1999年12月19日、OPBF東洋太平洋スーパーライト級王者の金鐘吉を判定で下し、同王座を獲得。 東洋太平洋王座獲得、前東洋太平洋王者の金鐘吉(12R判定勝ち)や、日本王座最多防衛記録保持者のリック吉村(12R判定勝ち)、元世界1位で元日本・東洋太平洋王者の坂本博之(12RKO勝ち)、無敗のベネズエラ同級王者で世界ランカーのリチャード・レイナ(2RKO勝ち)などの強豪と積極的に対戦し、OPBF王座の防衛回数を9に伸ばすとともに世界ランキングを上昇。 次第に日本ボクシング界中量級最大のホープと呼ばれるようになるが、当時、佐竹のいたスーパーライト級は全階級通じての激戦区で、WBAWBCともに大物王者が独占しており、世界戦のチャンスがなかなか巡ってこなかった。
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