河川争奪
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河川争奪(かせんそうだつ)は、河川の流域のある一部分を別の河川が奪う(自らの流域に組み入れる)地理的現象のこと。
- ^ 日本地形学連合 2017, p. 134.
- ^ Inc, NetAdvance. “日本列島「地名」をゆく!:ジャパンナレッジ 第106回 加古川の戦(3)”. JapanKnowledge. 2023年11月25日閲覧。
河川争奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 03:53 UTC 版)
支流の福井川は、佐世保市吉井町直谷と同市江迎町田ノ元の境で西向きから南向きへほぼ直角に曲がって佐々川へ合流する。また、この地点のすぐ西隣を流れる江迎川も、南向きから西向きへほぼ直角に曲がる。福井川と江迎川の間は谷になっていて、この谷に沿って松浦鉄道や国道204号が通っている。
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河川争奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 16:32 UTC 版)
上根峠は、50万年前から100万年前に根谷川が簸ノ川上流域を河川争奪したことで形成された。 江の川は中国地方の一級河川としては唯一の先行河川であり、中国山地が形成される以前にその流路が形成された。その支流の一つである簸ノ川の元々の源流点は白木山にあり、上根峠から南西約1.1 kmにあり白木山から流下する現在の根谷川支流の入甲川(桧山川とも)はかつて簸ノ川の本流であった。現在の大林町草田や八千代町向山平原には、上根峠より高い標高地点で簸ノ川の河床堆積物と考えられる礫層が存在する。根谷川との分水界は現在の安佐北区大林町付近にあった。 根谷川の侵食力は北東方向の上根側に地形を削っていった。活断層によって岩盤が劣化したことで、根谷川の侵食が進んだと考えられている。そして根谷川は簸ノ川の上流(現・桧山川あるいは入甲川)を河川争奪した。 根谷川は更に侵食していき北西側から流下する川(現・根谷川本流)を争奪し、分水界が上根峠となった。争奪面積は29.11 km2と推定されている。 河川争奪によって形成された地形として、国内で初めて紹介された事例と言われている(下村彦一「廣島縣高田郡上根附近の地貌 (PDF) 」 『地理学評論』第4巻第11号、日本地理学会、1928年、 1077-1087頁、2019年1月13日閲覧。)。上根断層と根谷川についての記載は更に古い(鈴木敏 『濱田圖幅地質説明書』農商務省地質調査所、1897年)。
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