民初外交の現場で
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中華民国成立後、総統府財政顧問に任用される。1913年(民国2年)、参議院議員に当選した。同年12月、駐日全権公使として日本に赴任した。 翌年秋に日本が山東出兵を開始すると、陸宗輿は袁世凱の意を受けて中国の中立を日本側に伝達している。1915年(民国4年)1月、大隈重信内閣が対華21ヶ条要求を袁に突きつけてくると、外交部次長曹汝霖が北京で駐華日本公使日置益との交渉に臨む。その一方で陸は、東京で外相加藤高明と会談を重ねた。5月25日、最終的に袁は要求を受諾している。 同年、袁世凱が皇帝即位を図ると、陸宗輿はその意を受けて大隈内閣と交渉し、秘密裏に袁への支持を取り付けた。しかし、次第に袁が護国戦争などで不利な立場になると、大隈内閣は袁への支持を取り消している。1916年(民国5年)6月、袁の死去直後に、陸は本国へ召還された。
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