武士とのトラブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 18:13 UTC 版)
津軽藩主が屏風絵を依頼し、使者が何度も北斎を招いたがいっこうに赴こうとしなかった。10日ほどしてついに藩士が北斎宅までやってきて、「わずかばかりではありますが」と5両を贈って藩邸への同行をうながし「屏風が殿のお気に召せば若干の褒美もありましょう」と言葉を添えたが、北斎は用事があると応えて行かなかった。数日してまた藩士が訪問し再度同行を促したが、また北斎は断った。とうとう藩士は憤慨し「この場で切り捨てて、私も自害する。」と怒り出してしまうが、集まった人々が藩士をなだめ、北斎に出向くよう勧めるなどと大騒ぎになった。それでも頑として拒否し続ける北斎は「じゃ前にもらった5両返せばいいんだろう。明日金を藩邸に送りつけてやる。」と言い出したので、藩士も人々もあきれはててしまったが、その日はなんとか収まった。 数カ月後、招かれないのに唐突に津軽藩邸に現れ、屏風一双を仕上げて帰った。常に貧しく不作法な北斎であったが、気位の高さは王侯にも負けず、富や権力でも動かないことがあった。
※この「武士とのトラブル」の解説は、「葛飾北斎」の解説の一部です。
「武士とのトラブル」を含む「葛飾北斎」の記事については、「葛飾北斎」の概要を参照ください。
- 武士とのトラブルのページへのリンク