【正規空母】(せいきくうぼ)
艦隊決戦ないし攻勢対航空作戦を想定して設計・建造された航空母艦。
明確な基準は無いが、CTOL機を運用し、飛行甲板を持つ事を必須とする。
滑走のスペースとペイロードの関係で大型化が必須で、排水量は概ね数万トン以上。
搭載機数は型によって大きく異なる。
旧日本海軍の大鳳・信濃やイギリス海軍のイラストリアス級などは装甲防御を重視し、艦載機は40機程度に留まっていた。
一方でアメリカ海軍のエセックス級、ミッドウェイ級などは火力に特化して100機以上を搭載する。
第二次世界大戦においてその運用思想を証明し、大艦巨砲主義を過去のものとした。
しかし、戦後は艦載機の技術進歩に伴う金の壁を打ち破れず、徐々に廃れていった。
現代では海軍戦略の中核から外れ、国威発揚など政治的色彩が強くなっているのが現状である。
とはいえ、単艦戦力としてはまさに圧倒的であり、抑止力としては今なお強烈な存在感を保っている。
関連:大型空母 軽空母 STOVL空母 攻撃空母 対潜空母 スーパーキャリアー
正規空母
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正規空母[1](正規航空母艦[2]、せいきくうぼ、英語: Fleet aircraft carrier[3][注 1])は、航空母艦(空母)の一種[注 2]。 改造空母(航空戦艦)[注 3][注 4]、特設航空母艦[7]、軽空母(小型空母)[8]、護衛空母(特設空母、補助空母)[9]以外の、主力艦として用いられる航空母艦をさして用いられる俗称である。
注釈
- ^ 直訳すると「艦隊空母」となる。
- ^ 機密第一〇〇五三〇番電(中略)[4](中略)四 作戰位置 四発大艇 三十一(ロ B22東南部 正規空母四(内サラトガ型一、ヱセツクス型三)巡改母二(エンデテンス型)特空母一(以下略)
- ^ 三、昭和十九年八月 ― 比島戰終了(昭和二〇、一)(中略)[5] 母艦部隊は飛行機隊編成の爲内地にあつたが第三航空戰隊の飛行機隊のみは決戰参加の見込みがあつたので水上爆撃機十數機を搭載した舊戰艦改造母艦伊勢、日向を以つて編成した第四航空戰隊と共にに決戰参加の機を待つていた(以下略)
- ^ 日本海軍は、レキシントン級巡洋戦艦を改造したレキシントン級航空母艦(サラトガ型)も正規空母として認識している[4]。戦史叢書でも「正規空母」として扱う[1][6]。
- ^ 一例として軍令部が1935年(昭和10年)2月に作成した「昭和16年帝国海軍戦時編制案」では、特空母について秩父丸、浅間丸、龍田丸、大鯨、剣埼型潜水母艦(剣埼、高崎。後日、瑞鳳型航空母艦)を挙げている[11]。
- ^ 1941年(昭和16年)4月26日時点では、春日丸級特設空母と、橿原丸級貨客船を改造した隼鷹型航空母艦(隼鷹、飛鷹)が「特設空母」に類別されている[7]。
- ^ 特設航空母艦について、仮装航空母艦[12]、特設空母[13]、特空母[14][15]などと表記した。
- ^ 一、蘭印方面[13](中略)又右捕虜中ニハ「ラングレー」ノ生存者ヲ含ミシアル所ヨリ推察スルニ二月二十七日爪哇南方海面ニテ爆撃セシ特設空母ラシキ艦ハ「ラングレー」ニシテ沈没センコト確實ナリ(以下略)
- ^ 「太平洋方面の敵航空母艦の総数は16(米空母の総数は17)、特設空母40計56隻と判断せられるが その正式空母13隻が「トラック」空襲後一週間以内に「マリアナ」に来襲した関係である」という項目がある[22]。
- ^ (昭和19年10月14日)GFサチ|一五日〇一二五 GF外|GF機密第一四二〇〇三番電[23] 一、十二日 十三日ノT攻撃部隊ノ綜合戰果左ノ通/十二日 空母六乃至八隻轟撃沈(内正規空母三乃至四ヲ含ム)/十三日 空母三乃至五隻轟撃沈(内正規空母二乃至三隻ヲ含ム(以下略)|無電
- ^ 四、情況判斷ノ誤謬ト「レイテ」決戰指導ノ經緯[24](中略)「註」1、米正規航空母艦十隻ヲ撃沈セルモノト判斷スル旨大本營及海軍ヨリ通報アリ(以下略)
- ^ 10月25日のサマール島沖海戦で第一遊撃部隊(通称“栗田艦隊”)が実施した戦艦「大和」などの砲撃戦で、日本側がアメリカ軍の「正規空母」数隻と遭遇(撃沈)したと報告している[25]。
- ^ 栗田艦隊の戦闘速報では“二十五日〇七三〇 1YB指揮官|(宛略)|1YB機密第二五〇七三〇番電 敵ハ空母六隻(正規空母三隻)ヲ基幹トスル機動部隊ナリ 煙幕ヲ展開南東ニ避退我之ヲ攻撃中|無電 ”と報告している[25]。実際は第7艦隊に所属する第77.4.3任務群(クリフトン・スプレイグ少将)のカサブランカ級航空母艦(護衛空母)を「正規空母」と誤認した。
- ^ サマール沖海戦における第七戦隊(熊野、鈴谷、筑摩、利根)の戦闘詳報では、正規空母(レンジャー型)、巡洋艦改造空母(インディペンデンス型)と報告している[26]。既述のように、実際は護衛空母群である。
- ^ 制式空母[27] 商船や巡洋艦を改装したものでなく、建艦の當初から航空母艦として設計されたもの。大東亞戰勃發以來、わが航空機の活躍に戰爭様式の變化を認識した米國は、急遽空母の建造に全力を傾注しはじめ、各種に亙つて厖大な建艦計畫を實行しつゝあるが、昭和十八年上半期のみでもエセックス、二世レキシントン、二世ヨークタウン、バンカーヒル、イントレピッド等の制式空母を進水せしめ、更に同年中に三十隻の多數を完成する豫定が立てられてゐる。
- ^ 同紙では、「九州南東海面に出現した敵機動部隊に對する攻撃戰果に關する十九日の大本營發表に正規航空母艦といふ耳新しい言葉があるが、これは最初から航空母艦として設計建造された空母で従来制式航空母艦と呼ばれたものと同義語である、敵米空母の呼稱にはこの正規航空母艦のほかに巡洋艦を改造した巡改航空母艦、商船を改造した特設航空母艦がある」と解説された[29]。
- ^ (日本郵船)▲橿原、出雲[33](何れも二万六千七百噸)の兩船は商船として船出せず、正式空母隼鷹、飛鷹となり南太平洋海戰に参加したがサイパンにて空爆を受け沈没(以下略)(註:マリアナ沖海戦で沈没したのは飛鷹のみ)
- ^ 1943年5月、評論家アーネスト・K・リンドリー (Ernest Kidder Lindley) はカイザー造船所で多数建造中のカサブランカ級護衛空母(商船設計流用空母。俗称:ジープ空母、赤ちゃん空母)について論評し、その際に空母群で行動する空母について「正式な空母 (true carrier) 」や「高速力で本格的な空母 (high-speed full-sized carrier) 」と表現している[34][35]。
- ^ 航空機護衛艦(AVG)は、1942年8月20日には補助航空母艦(Auxiliary aircraft carrier)と改称して船体分類記号もACVに変更された。その後、1943年7月15日の類別の整理の際に、他の空母になぞらえて、護衛空母(Escort carrier)と改称し、船体分類記号もCVEに変更された[36]。
出典
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正規空母
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 06:09 UTC 版)
「艦隊これくしょん -艦これ- (アニメ)」の記事における「正規空母」の解説
赤城(あかぎ) 声 - 藤田咲 第一航空戦隊(一航戦)に所属する正規空母。数々の武勲を立てている吹雪の憧れの存在。かなりの大食漢(赤城に限らず、大型艦には有りがちだが)。 随伴艦になると宣言した吹雪の成長を見守りつつ、アドバイスを与える。 度々、夢として自分たち空母機動部隊が壊滅して轟沈している夢を見ており、それを予兆として考えている。 加賀とは同じ一航戦所属の為に一緒に行動することが多い。 加賀(かが) 声 - 井口裕香 一航戦に所属する正規空母。赤城と並んで熟練した腕前を持つ。 赤城とは戦友とも恋人とも言える親しい関係。一方で未熟な艦娘達に厳格な態度で接しがちであったり、後輩の瑞鶴と衝突してしまう事もしばしばあるが、成長は陰ながらも認めている。 劇場版では、如月の帰還に際して彼女の口から出自と艦娘に関わる重大な秘密が語られる。 瑞鶴(ずいかく) 声 - 野水伊織 第五航空戦隊(五航戦)に所属する正規空母。勝ち気で闊達な性格であり、一航戦の加賀をライバル視しており、無神経で無愛想な物言いに反発して反目し合っている。 翔鶴(しょうかく) 声 - 野水伊織 五航戦に所属する正規空母で、瑞鶴の姉。瑞鶴とは正反対のおっとりとした性格だが、時として凛とした態度を取ることもある。
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正規空母
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「大日本帝国海軍艦船一覧」の記事における「正規空母」の解説
機動艦隊の中核となる主力艦であり、大型で高速、戦闘機や攻撃機、爆撃機などを搭載している。
※この「正規空母」の解説は、「大日本帝国海軍艦船一覧」の解説の一部です。
「正規空母」を含む「大日本帝国海軍艦船一覧」の記事については、「大日本帝国海軍艦船一覧」の概要を参照ください。
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