権勢を振るう
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 10:43 UTC 版)
このようにして賈謐は賈南風ら一族と共に天下を欲しいままにするようになり、多く近臣が重職に就くようになった。賈謐は賈南風と協議の上で張華を侍中・中書監に、裴頠を侍中に、賈模を散騎常侍・侍中に、安南将軍裴楷を中書令・侍中に任じ、右僕射王戎と共に政務を補佐させた。張華・裴頠らは賢臣であったので、共に力を合わせて国政を大いに安定させる事に成功した。これ以降、賈謐の権限は皇帝をも凌ぐようになり、独断で黄門侍郎を処罰できるほどであった。賈南風の後ろ盾を頼みに華奢を尽くし、臣下の身分を越えた豪華な屋敷を住まいとした。また歌童・舞女には当時一番の人気がある者を選び、自身の邸宅で宴会を催すと国中から人が押し寄せた。後に権力を掌握する趙王司馬倫も当時は賈謐に取り入っており、これにより賈南風から信任されるようになった。 ある時、賈謐は恵帝の行幸に従い、宣武観での校猟(柵内に獣を放って行う狩り)に赴いた。この時、恵帝は尚書に命じて賈謐を呼び出すと「取り巻きの連中を用いるのはやめるように」と戒めた。この事が知れ渡ると、民衆は賈謐が帝位簒奪の野望を抱いていると疑うようになったという。しかし賈謐の権勢を止める事が出来る者は既におらず、1族を2名も皇室に送り込み、恵帝であっても遠慮がなかった。賈謐と郭彰の専横により政事は腐敗し、賄賂が横行するようになり、官員は富を競うようになったという。南陽の魯褒はこの時期の世相を風刺して『銭神論』を著した。
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