棋界統一後
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1937年 - 第1期名人戦が終了し木村義雄が実力制の最初の名人に決定。 1938年 - 木村が名人の座に就き、将棋大成会の会長にもなる。 1947年 - 名称を日本将棋連盟として、会長に木村義雄が就任。 1949年7月29日 - 社団法人となる。 1975年 - 女流棋士の初の棋戦・第1期女流名人位戦が行われ、蛸島彰子が初代女流名人となる。 1987年 - 第1期竜王戦が始まる。 1989年 - 下部組織として女流棋士会が発足。 1999年 第一回国際将棋フォーラムを主催。これより三年に一度の開催。 2005年 - 将棋界で俗に言われる「盤寿」にあたる創立81周年を迎え、記念のイベントなどを開催。 2007年 - 女流棋士の一部が「日本女子プロ将棋協会(LPSA)」として分離・独立。 2008年5月 - 「将棋世界」誌6月号において、米長邦雄会長(当時)が、「公益法人制度改革」に伴い、「公益社団法人」の許可を目指すため、改革の必要があることを表明。 2009年3月30日 - 刊行物の制作・販売を同4月から毎日コミュニケーションズ(現:マイナビ)に委託すると発表。ただし、「将棋世界」誌と「将棋年鑑」は従来どおり将棋連盟が編集・発行を行い、販売のみ毎日コミュニケーションズで行う。 2009年4月1日 - 女流棋士も含む新たな「棋士会」が発足。初代会長は谷川浩司。女流棋士会は存続(ただし、女流棋士会独自の役員制度は廃止)。 2010年8月23日 - 奨励会入会試験に、中華人民共和国上海在住の張鑫(ツァンシン)が6級に合格し、外国人初の奨励会員となる。 2010年11月12日 - 臨時総会において女流四段以上およびタイトル経験のある女流棋士を正会員とすることを決議。 2011年3月4日 - 公益認定等委員会が、日本将棋連盟の公益社団法人への移行認定を答申。 2011年4月1日 - 公益社団法人となる。
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