村上英語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 02:31 UTC 版)
大学時代の専門の英語、経済学、歴史など膨大な蔵書を有し、自宅には3階建ての書庫が存在したほどである。とりわけ正則英語学校の斉藤秀三郎の著作を愛読し、そこから科学的法則に則った英文法問題解法を編み出した。それとともに、暗記主義・詰め込み主義の教育を徹底的に批判し、国漢第一主義のもと、講義中には世界史、地理、軍事のほか、英語と関係ないだろうと思われる中国故事や日本史など広範囲にわたる知識を授け、語学とはあくまで自国と相手国の文化・政治・経済などを理解したうえでのコミュニケーション手段であることを説いた。その効果か、英語の偏差値が倍増する生徒がいたのみならず、社会科や国語の偏差値もアップする効果が見られたという。英文解釈においては、直読直解、「英語脳」で考える事を推奨した。 法則性によりロジカルに問題を解く解法に、特に理数系の学生が共鳴し、大手予備校に通いながら(注:神戸セミナー自体は小規模だった)、村上の授業のみを履修するためにダブルスクールを行う学生が多数存在した。また神戸セミナーという予備校自体には見向きもしない、灘や甲陽学院といった兵庫県内の有名進学校の学生も、村上の英語のみを履修しに神戸セミナーの門をくぐった。講義は常に生徒との対話形式で行われた。とくに品詞の概念を定着させることについては重視し、複雑な文の構成要素について、塾生は次々と指され、品詞を言わされるのが常であった。 生徒と話をするときの一人称は「僕」、二人称は「君」であり、村上の薫陶を受けた生徒たちのことは「僕の弟子」と表現した。言葉遣いは決して荒いものではなかったが、敬語ではなかった。態度の悪い生徒を退場させることもあったが、そのときは生徒がどんなに謝罪しても「僕が一度言い出したら聞かないのは知っているやろ。」と引かず、その生徒が退場するまで授業を再開しなかった。授業にはつねに緊張感があり、テキストの単文を複文に書き換えさせるなどの作業も多く行ったが、ほとんどの生徒は村上の解説がスタートするまでに作業を終えることはできず、授業のテンポは非常に速いものであった。
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