村上一族鏖殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 01:00 UTC 版)
村上一族鏖殺事件(むらかみいちぞくおうさつじけん)は、お下の乱の4年後の正保2年(1645年)に起きた事件である。300石取りの上士である村上顕武が、一族を招いて先祖供養の法要をおこなっている最中に、顕武の養子である角兵衛とその実兄である柳瀬長左衛門が乱入し、一族約70名を惨殺した。直後に角兵衛と長左衛門は自決している。角兵衛の生母の出自が低身分だったために、顕武の妻が養子縁組に反対して夫に訴え、顕武も養子縁組を一時中断したために起こった事件であるとされている。
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