最近の論点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 02:59 UTC 版)
奴隷貿易の歴史は歴史家の間で数多くの論争を生じさせてきた。まず、専門家たちは故郷から連れ去られたアフリカ人の数を確定できていないことがあげられる。中世アフリカには人口調査システムがなく、信頼出来る統計が乏しいため、これを解決することが難しい。16世紀から18世紀にかけての大西洋貿易の古文書は、資料として有用であると考えられているが、こうした記録書はしばしば偽りが見受けられる。歴史家は時に推測を織り交ぜて記述を行うため、不正確な語り口の文書を注意深く取り扱って使用せざるを得ない。Luiz Felipe de Alencastro は、8世紀から19世紀にかけて800万人の奴隷がアフリカから東方ルートやサハラ横断ルートを使って連れ去られたと主張する。 Olivier Pétré-Grenouilleau は更に推し進めて、Ralph Austen の業績に基づき(同じ地域の同じ時代に)1700万人のアフリカ人が奴隷にされたと主張する。 en:Paul Bairoch は、2500万人のアフリカ人がアラブ人の奴隷貿易に晒され、その一方で1100万人のアフリカ人が大西洋奴隷貿易によってアメリカ大陸に到達したと示唆する。Ronald Segal は1150万 - 1400万人がアラブ人の奴隷貿易によって奴隷にされたと推算する。 アラブ人の奴隷貿易へのもう一つの障害は、現存資料が限られていることである。非アフリカ文化からの、アラビア語で教養ある男性の手による文書は現存するが、不完全なものでしかなく、しばしば現象に対し親切ぶった態度を取っている。数年にわたり、アフリカへの歴史学的調査に大きな努力が払われてきた。新たな方法と観点のお陰で、歴史家は考古学や貨幣学や人類学や言語学や人口統計学の成果を活用して、文字記録の不備を補完することができるようになった。 東アフリカのアラブ人の奴隷貿易は、最も古い奴隷貿易の一つであり、ヨーロッパ人の大西洋奴隷貿易より700年前に遡る。男性奴隷は主に召使いや兵士や労働者として所有者に雇われ、アフリカ出身を含む女性奴隷は、召使いや妾としてアラブ人商人や東方商人によって、遠く中東の国々や王国へと売られた。 アラブ人やアフリカ人や東方の商人は、奴隷の捕獲や、サハラ砂漠を北に縦断するルートやインド洋一帯の中東やペルシアやソマリアやインド亜大陸へのルートでの奴隷の運送に関わった。
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