最近の創価学会側の見解
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「言論出版妨害事件」の記事における「最近の創価学会側の見解」の解説
池田大作は 1995年、田原総一朗とのインタビューでは言論問題について「大失敗です。ただ、われわれが命をかけて信奉するものを侮辱された、熱心に真面目にやっている庶民が愚弄された、そういう仕打ちにあえば、怒りたくなるのは当然でしょう」と述べたうえで「教義を守るためにも、真剣すぎた。もちろん言論や表現の自由ありますし、それなりに尊重しなければならない。つまり、学会も当時はあまりにも若かった」「ともかくも責任は私にあります」としている。 2001年9月19日付の『産経新聞』でのインタビュー記事で池田大作は「許せなかったのは、学会婦人部に対して、口を極めて侮辱したことだ」「政治評論家として名を売っている人(藤原弘達)が、真剣に宗教を持っている人をそこまで誹謗するのは許せなかった」「信仰心は純粋なものだ。純粋であればあるほど、侮辱のつくり話などに反発し、怒るのは当然だろう」などと述べているが、ジャーナリストの段勲は『創価学会を斬る』に創価学会の婦人部を侮辱した箇所はないと述べている。創価学会「言論弾圧」の系譜。 2005年10月に出版された池田大作の自伝的著作『新・人間革命』(第14巻「烈風」の章)では事件について、「衆院選前に、藤沢達造(藤原弘達の仮名)の本とともに、学会の批判本が次々と出されたのだ。暗黒の嵐が吹き荒れ、伸一(池田氏の仮名)を倒さんとする、攻撃の毒矢が放たれたのであった。」「学会の一部のメンバーが、批判書の著者などに、要請や抗議を行ったことは確かである。伸一は、もし、そこに行き過ぎがあれば、会長である自分が、非は非として謝ろうと思っていた。」「あくまでも要請を伝えたにすぎず、その言い方も丁重であり、妨害の意図など全くなかった。だが、出版前に接触したということ自体が問題にされたのだ。ということは、事実と異なる屈辱的なことを書きたい放題書かれ、名誉や人格が傷つけられることがわかっていても、事前には、なんの対応もできないことになる。おかしな話ではある。だが、事前に接触したことが攻撃の口実にされ、言論を抑圧したかのような誤解を社会に与えてしまったのだ。社会性のうえから、慎重に配慮し、より適切な対応をすべきではなかったか。」などと述べている。
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