最終戦の日程決定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 21:33 UTC 版)
詳細は「1994年の野球#ペナントレース」を参照 1994年当時、セ・リーグ公式戦は各チーム26回戦総当りの130試合制で行われていた。 同年の巨人は序盤から首位を快走していたが、8月25日から9月3日にかけて8連敗を喫するなどして勢いを落とす。対照的に中日は、優勝経験のある星野仙一を翌季から監督へ復帰させるプランが球団内部で台頭していたことから、前年2位で迎えた同年もAクラス(リーグ6球団中、上位3位以内)を維持していたシーズン中にもかかわらず、当時の監督である高木守道に「来季の契約をしない」旨を内示していた。この件が却って監督・選手ともに「最後の花道を優勝で飾ろう」と一丸となって巻き返しに出た。ただし、当初巨人を猛追していたのは広島であった。9月20日の時点で首位巨人を1.5ゲーム差で2位広島が追いかけ、4ゲーム差で3位中日という構図であったが、9月23日からの3連戦で広島に全勝した中日が、この間に連敗した巨人を捉え、1ゲーム差で2位につけてしまった。中日は9月18日から10月2日にかけては9連勝を記録し、試合終了時間の関係で「単独首位」の形となったこともあるなど、巨人を猛然と追い上げた。なお、同監督の去就については#高木監督留任決定を参照。 巨人と中日は9月27日と28日にナゴヤ球場でこのシーズン最後の対戦が組まれていたが、27日の試合は日本列島に接近していた台風の影響による悪天候で中止となり、予備日となっていた29日に順延となったが、その29日も今度は台風本体が東海地方に接近してまたも中止となり、結局同リーグは翌30日に29日に中止された両チームの第26回戦を10月8日(土曜日)に組み込むことを含めた「追加日程」を発表し、ここに「10.8」の試合が日程上登場したことから、この事象が始まった。なお、この時点で巨人と中日は66勝59敗(残り5試合)で並んでいた。
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