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そが‐もの【曽我物】

読み方:そがもの

曽我兄弟事跡主題とした能・幸若舞(こうわかまい)・浄瑠璃・歌舞伎などの作品総称。「元服曽我」「小袖曽我」「夜討曽我」など。→曽我狂言


曽我物語

(曽我物 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 05:01 UTC 版)

曽我物語』(そがものがたり)は、鎌倉時代富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語である[1][2]。作者・成立年ともに不詳だが[2][1]、原初形態は鎌倉時代の中期から後期にかけて成立、これが南北朝時代から室町時代にかけて発展したものと推定されている[3]


注釈

  1. ^ 曽我兄弟の仇討ち(『曽我物語』)・赤穂浪士の討ち入り(『忠臣蔵』)・伊賀越の仇討ちが日本三大仇討ちとされている[6]。現代では「赤穂浪士の討ち入り」が最もポピュラーだが、実際に事件が起きた江戸時代にはまだタブー視される面があり、江戸時代には曽我兄弟の仇討ちが最も人気があった。
  2. ^ 基本的には漢字だけを用い、返り読みなど漢文調の構文をもちながら、文法は正規の漢文とは異なり、「候」など中国語には無い語彙や、ときにはカタカナ・ひらがなが混じる。古代からみられ、平安時代以降は公家の日記などで頻繁にみられる。『吾妻鏡』でも採用されていることから「東鏡体」ともいう。『吾妻鏡』に倣い、後代の武家の公文書でも採用されており、江戸時代までみられる。[19]
  3. ^ 乎古止点(をことてん)は、漢文を訓読みするための訓点の一種である[20]。漢字の周囲に・|―/\「」>=+など100種類以上の符号を付すことで読み方を示すもので、右上の印「ヲ」、右下の印「コト」を続けて読むと「ヲコト」となることからこの名があるという[21][20]。点を左下から順に読むと「テニヲハ」となり、これが「てにをは」の語源とされている[22]。乎古止点のつけ方には数多くの流派があり、それぞれ異なる規則で運用していた[20]。大きく分けると、仏寺の僧侶(学僧)が用いた方式と、公家や朝廷の学者(博士)があり、後者を博士家系、博士家点という[23][20]
  4. ^ 保田妙本寺(千葉県安房郡鋸南町吉浜字中谷)に所蔵されていた10巻本
  5. ^ 同寺(静岡県富士宮市)は「重須本門寺」とも呼ばれるため、「重須本」とも呼称される
  6. ^ 工藤祐経が討たれたとき、まだ幼かった犬房丸は、後に元服して伊東姓を名乗り、御家人として仕えた[35]。伊東氏には日向国の地頭職が与えられ、室町時代初期の6代目祐持のときに日向国へ下向して土着したのが日向伊東氏の祖である[36]
  7. ^ 佐藤博信(歴史学者、千葉大学名誉教授)は、日助が安房妙本寺へ寄進した写本と、日我が後に作成した写本の祖本とは、同一のものではない可能性を指摘している[32]。日助が安房妙本寺へ写本を寄進したという天文22年(1553年)は、安房の里見氏相模国(神奈川県)の後北条氏との合戦の直前で、住職の日我も城へ避難していたと推定され、日助から写本を受け取るのは困難だったのではないかとする[32]。佐藤博信は、「本門寺本」は「妙本寺本」を基にして移されたものではないのは既に明らかとしつつ、それがまだ通説に至っていないと認めている[32]
  8. ^ 「大石寺本」に書かれていて、「真名本」に書かれていない、という記述は全巻を通じて1つもない[8]
  9. ^ たとえば、同じ人物がある場面では曽我兄弟の仇討ちが成功するように協力し、別の場面では曽我兄弟に敵対的に振る舞う[46]。これは、作者が全体の構想を考えずに個々の場面を盛り上げようとしたためだと分析されている[46]
  10. ^ 「禅定尼」は戒名の位号。
  11. ^ 安達時顕(? - 1333年)・安達高景(? - 1333年)など。両者の没年が同一なのは、鎌倉幕府滅亡のときに両者とも自害したもの。
  12. ^ 安達時顕が「秋田城介」となった時期は不明だが、1308年〈徳治3年〉の時点では確実に「秋田城介」であったことが判っている。1333年は鎌倉幕府が滅亡し、安達時顕・安達高景父子が自害した年。
  13. ^ 覚明は『箱根山縁起』の作者であると推定されている[49]
  14. ^ 仇討ちの前、曽我兄弟は母親に面会に行く。母は兄弟に対し、親の恩を説き聞かせるにあたり、古の王妃の逸話を用いる。この王妃は王の待望の子を妊娠するが、3年経っても臨月にならない。19歳の王妃は腹を裂いて赤子を取り出すよう、王に願い出るが、王はこれを認めない。すると王妃は自ら絶食し、死を待つのみとなった。そこでやむなく腹を裂いて赤子を取り出す。王妃は赤子の無事を確かめると絶命した。この子は成人すると、母の胎内にいた3年間にちなんで千間堂を建立した。これが「今の慈恩寺」だという。[54]
  15. ^ 六角氏頼が母親の菩提を弔うために建立したもの[55]浄厳院参照。
  16. ^ 「同じくは空に霞の関もがな雲居の雁を暫しとどめん」(大意:空に霞で関所を作ることができれば、旅立つ雁をしばらく引き留めておけるのに[56])。これは二条為世による歌である[57]

出典

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  4. ^ a b c 吉川弘文館国史大辞典』、山下宏明、「曽我物語」。
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  83. ^ 会田(2004) p.151
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