晋州の陥落(第19連隊)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:34 UTC 版)
「釜山橋頭堡の戦い」の記事における「晋州の陥落(第19連隊)」の解説
第19連隊は、7月16日の大坪里の戦いにおいて第1大隊が壊滅していたため、大田の戦いでは第2大隊(マックグレィル中佐)のみが第34連隊(ビューチャンプ大佐)の指揮下に戦闘に参加していた。その後再編成を行ない、この時点では晋州において第1大隊(リー中佐)と第2大隊(マックグレィル中佐)に第29連隊の残存が加わるなどして、総員で1,000名足らずになっていた。しかし対する北朝鮮軍を第4師団の一部のみであると判断しており、防御可能だと考えていた。晋州の防御は重視されており、日本の兵器廠にあったものを修理して朝鮮半島に急送したM26パーシングが3輌配備されていた。 北朝鮮軍は7月29日の正午頃、晋州の西南10キロメートル付近で中隊を撃退すると、30日の早朝には第2大隊の正面を北上した。包囲を恐れた第2大隊は南江東岸に後退した。30日の夕方から第2大隊への攻撃が開始され、31日午前5時、大隊主力の陣地に北朝鮮兵が突入した。 7月31日の午前6時頃、晋州市街は北朝鮮軍の戦車、自走砲の射撃を受けるようになり、午前6時45分に第19連隊は後退、晋州を失った。3輌のM26パーシングは機関の不調から遺棄された。
※この「晋州の陥落(第19連隊)」の解説は、「釜山橋頭堡の戦い」の解説の一部です。
「晋州の陥落(第19連隊)」を含む「釜山橋頭堡の戦い」の記事については、「釜山橋頭堡の戦い」の概要を参照ください。
- 晋州の陥落のページへのリンク