映画界への参入
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1988年には中篇ドキュメンタリー『トップ・ファイター』を第一作に山田洋行ライトヴィジョンを立ち上げ、映画界にも参入。黒木和雄監督『TOMORROW 明日』(88年)、北野武監督『その男、凶暴につき』(89年)、市川準監督『つぐみ』(90年)、馬場康夫監督『波の数だけ抱きしめて』(91年)、深作欣二監督『いつかギラギラする日』(92年)等90年代初頭を代表する日本映画の作品群を殆どといっていい程手掛けていたが、現在は消滅。 とりわけ初期作品とは縁深かった北野監督ことビートたけしは、山田洋行を巡る事件を受けて客員編集長を務める2007年11月27日付け東京スポーツ紙上にてライトヴィジョンの末路を振り返り、「ある時、(ライトヴィジョンが)未払いで逃げちゃったんだぜ。それで、オイラの事務所に問い合わせが来ちゃったりして、大変だったんだ。どっかの週刊誌に『山田洋行とたけしの関係』って書かれてたけど、冗談じゃねえっていうの。オイラは被害者なんだっていうの」と嘆いてみせた。
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