映画界からの引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 15:54 UTC 版)
「ルイーズ・ブルックス」の記事における「映画界からの引退」の解説
1931年にハリウッドに戻って、ブルックスは、『It Pays to Advertise』と『God's Gift to Women』の2本の映画に出演した。しかし、ほとんど注目されず、非公式のブラックリストに名前があったために、それ以降は出演依頼が途絶えていた。 『人生の乞食』の監督であったウィリアム・A・ウェルマンは、それでもジェームズ・キャグニーが主演する『民衆の敵』で、ブルックスにヒロインの役を提供しようとした。しかしブルックスは、恋人のジョージ・プレストン・マーシャルをニュー・ヨークで訪問するためにその役を断った。代わりにジーン・ハーロウがこの役を演じたが、ブルックスの伝記作家バリー・パリスは、「『民衆の敵』に出演しなかったのは、ルイーズ・ブルックスにとって、映画のキャリアの本当の終わりになった」と述べている。 ブルックスはその後単純に、「ハリウッドが嫌いだったので」と言っていたが、彼女の後半生でブルックスを知っていた、映画史家のジェームズ・カードは、「彼女はマーシャルに、ずっと深い関心があって、映画界にはさほど興味を持てなかった」と話している。 1931年にブルックスはもう1本の映画、ハリウッドから追放されてウィリアム・グッドリッチの名前で活動していた、ロスコー・アーバックルが監督した、ショート・コメディ『ハリウッド大通り』に出演した。 ブルックスは1932年に破産宣告して 生計のためにナイトクラブでのダンスを始めた。そして1936年にカムバックを試みて ウエスタン映画『Empty Saddles』に少さな役での出演をした。コロンビア映画が、1937年のミュージカル映画『When You're in Love』でのスペシャルなバレリーナの役でのスクリーン・テストを提供したからであった。この映画に出演はしたものの、クレジットなしでのものだった。その後1938年に、ジョン・ウェインの相手役で、B級ウェスタンの『Overland Stage Raiders』に出演したが、ロマンティックな役でのブルックスはロングなヘアースタイルで、かってのルル役からは想像もつかないものであった。 ブルックスは一時的に、ダンス・スタジオ経営のために、彼女が育ったウィチタに引っ越した。彼女はこう言い表した。 しかし、それは別の種類の地獄になりました。ウィチタの市民は、私が失敗したことで、私のかっての成功を傷つけたり、私を軽蔑したりしました。これらは生涯許せないと告白しなければなりません。彼らに魅力は感じませんでした。 ダンス・スタジオの運営に失敗した後、彼女は東部に戻って、ラジオの声優とゴシップ・コラムニストとしての仕事で、短期間働いた後は、数年間サックス・フィフス・アベニューでの販売員として働いた。そして、裕福な男性を選んで顧客として、高級娼婦のように生活していた。 私は36歳の成功しなかった女優であって、生きていくには、この先コール・ガールの道しかないと思い知らされました。そして(私は)、黄色い睡眠薬で満たされた小さなボトルです。 ブルックスは14歳から過度の飲酒癖があったが、第2のキャリアになった映画について執筆活動が出来たように、思考については、比較的冷静なままであった。数年間は、最初の主な計画だった、ゲーテの『ファウスト』から採られた『Naked on My Goat』というタイトルの自伝的な小説に取り組んでいたが、最終的には焼却炉に原稿を投棄して廃棄した。 彼女は人生の大部分が悪名高い浪費家だったが、友人達にはたいがい度を越すほど親切で寛大だった。
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