明朝の支配と独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/28 06:16 UTC 版)
明の第3代皇帝である永楽帝は中国東北部へ出兵、黒竜江付近まで進出して女真族を支配下に置いた。この時、明朝はこの地を招撫支配するため建州衛、建州左衛、建州右衛を設置、女真族を衛所制に組み込んだ。女真族は衛所を通じて明朝と交易をおこなう中で社会的、文化的な影響を受け漢化していった。16世紀後半に明との関係が悪化すると、三衛の混乱に乗じて事実上独立し、有力者の率いるアイマン(aiman、部)を形成、建州五部が出現した。
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