日本軽金属の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:10 UTC 版)
古河財閥はアルミニウム送電線の製造に関心を持ち、1919年(大正8年)にイギリスのブリティッシュ・アルミニウム社とアルミ棹の輸入・製造技術供与契約を締結し、1920年(大正9年)には鋼心アルミニウム線の製造を開始。1921年(大正10年)、古河電気工業は日本電力(戦前まで存在した五大電力会社の1社)の大阪・岐阜間の送電線に鋼心アルミニウム線を供給し、日本での鋼心アルミニウム線の先鞭を付けた。 東京電燈(現・東京電力)は精錬用電力を開発しアルミニウム事業の発展を企図しており、政府のアルミニウム増産要請もあって、両社の合意は成立し、1939年(昭和14年)に日本軽金属が設立された。 日本軽金属は、1942年(昭和17年)以降、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦まで、アルミニウムに関して日本一の生産量を上げたが、戦争末期には原材料のボーキサイトの確保ができず操業停止となった。戦後、1948年(昭和23年)にはボーキサイトの輸入が再開され操業を再開し、1950年(昭和25年)の朝鮮動乱の勃発により生産は飛躍的に増大し、引き続いて1954年(昭和29年)から1957年(昭和32年)にかけての神武景気の期間に経営発展の基盤を築いた。その後、1970年代の2度にわたる石油危機の発生により、同業各社がアルミニウム精錬から撤退していったが、日本軽金属のみは現在も活躍している。
※この「日本軽金属の設立」の解説は、「古河財閥」の解説の一部です。
「日本軽金属の設立」を含む「古河財閥」の記事については、「古河財閥」の概要を参照ください。
- 日本軽金属の設立のページへのリンク