日本古美術コレクターとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 10:35 UTC 版)
「ピーター・ドラッカー」の記事における「日本古美術コレクターとして」の解説
ドラッカーには、日本の古美術コレクターとしての側面もあり、自身により「山荘コレクション」と名付けられている。ドラッカーと日本美術との出会いは、1934年(1933年説もある)6月、ロンドンのバーリアントン・アーケードで催されていたロイヤル・アカデミー会員の夏季展示会に行こうとして迷い込んだ、日本政府主催の日本美術展覧会を見た経験による。その後、第二次世界大戦下、米国の首都ワシントンD.C.に滞在すると、国外有数の日本美術コレクションがあるフリーア美術館で昼休みを過ごした。この時ドラッカーは書庫の一隅を与えられ、資料写真から選んだ数点の絵画をそこで見ることを許された。そんなある日、学芸員から「いつも日本の絵画、特に室町水墨画を請求されているのに気がついていましたか」と語りかけられ、ドラッカーはこの時初めて自分の好みを理解したという。こうして日本美術を勉強したドラッカーは1959年に初来日し、式部輝忠の扇面画と清原雪信の芙蓉図を購入、これらが最初のコレクションとなった。後に雪村周継作品などが加わった。 コレクションは室町水墨画と、近世の禅画や南画が主で、特に南画はコレクションの3分の1を占める。逆に国外のコレクターに人気が高い浮世絵は、肉筆浮世絵を含めて全くない。室町水墨画には、日本国内の美術館やコレクターでも所蔵していない遺品が極めて少ない画家や、伝記が殆ど知られていない画家が何人もおり、コレクションの特筆すべき特徴と言える。人から「コレクションを作るために、最も大切なことは何か」と問われると、「良い先生を見つけること」だと言う。ドラッカーは自身の先生として、日本有数の古美術商だった瀬津伊之助や藪本宗四郎や、美術史家の田中一松や松下隆章、島田修二郎、ジョン・マックス・ローゼンフィールドらを挙げている。 コレクションはドラッカー没後に散逸が懸念されたが、ある日本企業が197点を購入し、千葉市美術館に寄託した。2019年4月13日から一部が所蔵作品展として公開される予定である。
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