日本使節団の訪問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 08:33 UTC 版)
「ワシントン海軍工廠」の記事における「日本使節団の訪問」の解説
ワシントン海軍工廠は米国の首都への儀式的な門でもあった。1860年、日本からの最初の外交使節が工廠を訪問している。目付であった小栗忠順は、その設備に感銘を受け、近代工業の象徴として工廠で生産されたネジを持ち帰った。当時のニューヨークタイムズは小栗が「近い将来、日本にこのような施設を造りたい」と語ったと報じているが、これは後に横須賀造船所として実現した。 その他にも、チャールズ・リンドバーグは、1927年の有名な大西洋横断飛行成功の後、ワシントン海軍工廠へ戻ってきた。英国のジョージ6世もワシントン滞在中に工廠を訪問した。 現在は海軍博物館 (Navy Museum) があり、また駆逐艦バリー (USS Barry) も博物館として一般に開放されている。バリーはワシントン地区の指揮官交代式典にしばしば利用されている。
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