政権崩壊への序曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 23:34 UTC 版)
「エジプト革命 (2011年)」の記事における「政権崩壊への序曲」の解説
2月10日、タハリール広場でのデモは拡大の一途をたどり、首相府や人民議会を包囲。これによりシャフィーク首相は閣議を首都郊外にある民間航空省にて行わざるを得なくなった。金曜礼拝が行われる2月11日にも大規模な反政府デモが呼びかけられた。 また首都カイロ市内でバスや地下鉄といった交通機関などをはじめとして、各地で待遇改善を求めてストライキが実施された。大統領退陣を要求する反政府デモと直接関係はないが、一連の動きに触発されたとされる。 野党との交渉には暗雲が垂れ込めはじめ、アフマド・アリー・アブルゲイト外務大臣が混乱を収めるため軍が介入すると発言したことに反発した野党の国民統一進歩党が政府との対話からの離脱を表明した。
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