政権初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 07:26 UTC 版)
盛世才は、1934年4月12日、「民族平等の実施、信教の自由の保障、農林業の救済、財政の整理、官僚の綱紀粛正、教育の拡充、自治の実施、司法の改革」からなる「八大宣言」を公布、また、1936年には、「反帝、和平、建設、民族平等、清廉、親ソ」からなる「六大政策」を発表するなど、ソ連の支援の下で内政の改革を行う「進歩的」政策を標榜した。 1934年には、タシケントの中央アジア大学への留学生派遣事業が始められ、1935年5月から、ソ連より借款を、6月からはコミンテルンより要員派遣を受けるなど、ソ連からの人的、経済的な支援の下で政権基盤を強化した。1936年には、「日本帝国主義勢力の浸透を防ぐため」と称して、新疆省への入境に査証を義務化し、中国内地からの影響を遮断し、新疆を事実上独立国のように統治した。 これに対し、中国国民政府は、ソ連からの軍需物資の輸送ルートとして新疆を重視しており、抗日戦争に協力していた盛世才への批判を控えざるを得なかった。
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