ほう‐とう〔ハウタウ〕【放×蕩】
放蕩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/12 03:47 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動放蕩(ほうとう)とは、自分の思うままに振る舞うこと[1][2]。やるべきことをやらず、飲酒や遊びにうつつをぬかすこと。
概説
放蕩とは自分の思うままに振る舞うことであり、やるべきことをやらず自分のやりたい放題にして、家の財産などを蕩尽すること(使い尽くしていくこと)である。特に、酒にふけったり、女遊びにふけることを指すことが多い[3][4]。
放蕩を繰り返す人は「放蕩者」「放蕩息子」「放蕩児」などと呼ばれている。
上記の呼称で呼ばれた人、呼ばれている人は数限りなくいるのではあるが、過去の人物の具体例を幾人か挙げると、たとえばアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックや薩摩治郎八などがそう呼ばれることがある[5] [6]。
放蕩を題材とした作品
新約聖書の「ルカによる福音書」には「放蕩息子のたとえ話」(放蕩息子の帰還)がおさめられており、西洋の人々がprodigal(放蕩)と聞くと真っ先に思い出すのがこの話である。この話は多くの作家にインスピレーションを与え続けている。例えば『ロンドンの放蕩者』(16世紀末~17世紀初頭の作品)がそれであり、レンブラント(1606 - 1669)も「放蕩息子の帰還」を題材にした作品を描き、アンドレ・ジッド(1869 - 1951)も同名の作品を書いた。また、ジェフリー・アーチャーの『ロスノフスキ家の娘』(1982)もこの喩え話から着想を得ているなど、枚挙にいとまがない。
出典
- ^ 広辞苑第五版p.2438【放蕩】
- ^ 大辞泉
- ^ 広辞苑第五版p.2438【放蕩】
- ^ 大辞泉
- ^ 式場 隆三郎 「放蕩の貴族ロートレック」芸術新潮 2(11), 126-134, 1951-11
- ^ 鹿島 茂「蜃気楼を追いつづけた男--薩摩治郎八が失くしたものと残したもの(パリの放蕩息子バロン・サツマ物語)」芸術新潮 49(12), 6-25, 1998-12
関連項目
- 放蕩一代記(18世紀のウィリアム・ホガースが描いた一連の作品)
- 放蕩児の遍歴(放蕩一代記にインスピレーションを得てイーゴリ・ストラヴィンスキーがつくったオペラ)
- 権威主義
関連文献
- 玉崎紀子「女放蕩者のなりゆき」『中京大学教養論叢』第41巻第1号、中京大学、2000年10月10日、 831-851頁、 NAID 110004645184。
放蕩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 15:08 UTC 版)
かつてショーペンハウアーは、恋の駆け引きの軽薄さと輝きが、性行為の厳粛さ--ショーペンハウアーによればまったく動物的な--とまったく対照をなしていることに衝撃を受けた。このため彼はエロス的営みを単なる幻想とみなし、生命そのものによって恋人たちの知性と個体性に対してかけられた罠だと考えた。しかしまったく反対に、エロティシズムはほとんど生殖の問題を考慮しないからこそ、そのままにしておけばすぐに消え去ってしまう性衝動に反して、快楽と欲望を長続きさせるのだ、ということに注目してみることもできる。 このようにエロティシズムは根底的に人間のものである。実際、ヒトに特徴的なのは、動物と違って発情期と性的に無関心な時期との循環がないということである。この不決定の空間において公序良俗の観念も発達するし、同時にまた放蕩(自由思想)も進化していく。もはや欲望は自然に発露するものというよりも、誘惑の技術によって掻き立てられるものなのである。生物学的ないし社会的なあらゆる正当化から快楽が解放され、無思慮無節操にひけらかされる。そのときエロティシズムの中で、かつてセクシュアリティを快楽と欲望の駆け引きにすべく文化的に創意工夫を重ねて付け加えたり取り除いたりしてきた一切のものが、混ざり合ってしまう。そのとき恋愛することは、あまりに束縛が強すぎ、あまりに深刻すぎるものになってしまう。プラトンは『パイドロス』の中で弁論家のリュシアスに、愛がないのに誘惑してくる人たちにこそ味方すべきだと言わせている。彼らより恋人たちの方がよほど軽率で煩わしいものだからである。やがてエロティシズムは、芸術とか会話術のように、文明的洗練を表現する一形式にすぎなくなるだろう、というわけである。しかしそのようにみなすのは、エロス的快楽を凡庸化し、それを味覚の快楽のモデルで考えようとするやや愚かしい試みである。そもそもエロティシズムとは、他の身体との、他者との、他の経験や他の意識という計り知ることのできないものとの対決ではないだろうか。 そしてもちろん、ドン・ファンの形象が表しているように、放蕩の中には反逆の身ぶりがある。人は火遊びをし、ミシェル・レリスの言う「雄牛の角」をもてあそぶ。すなわち、性と死の聖なる力が、みずからの身を焦がす危険を冒しつつ、近づいていくのである。人はみずからの個体性とみずからの独立を脅かす力に挑む。結婚、病、愛などのことだ。そのとき人はついに不変である。また放蕩は男性優位主義にも近い。実際、シモーヌ・ド・ボーヴォワールも述べていたように、哺乳類の雄は雌を受胎させた瞬間にその雌への関心を失う。従って「雄はみずからの個体性を乗り越えるその瞬間に、再び個体性の虜になる」。もちろん避妊の普及と風俗の解放によって、女性にもこの種のエロティックな営みが可能になるとも言える。
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放蕩
出典:『Wiktionary』 (2021/08/14 09:32 UTC 版)
名詞
発音(?)
- ほ↗ーとー
関連語
翻訳
- 英語: debauched (en), debauchery (en), dissipation (en), libertinism (en), profligacy (en), rakishness (en)
形容動詞
活用
- ダ型活用
- 放蕩-だ
翻訳
- 英語: debauched (en), dissolute (en), lewd (en), libertine (en), prodigal (en), profligate (en), rakehell (en), rakehelly (en)
動詞
活用
翻訳
「放蕩」の例文・使い方・用例・文例
- 放蕩者
- 若いときに放蕩する
- 彼はなかなかの放蕩者だ。
- 彼は放蕩者です。
- 放蕩生活を送る。
- 若い時に放蕩生活をする。
- 放蕩者.
- 放蕩生活.
- 放蕩生活を送る.
- 放蕩(ほうとう)児.
- すさんだ[放蕩]生活をする.
- すさんだ生活をする, 放蕩(ほうとう)にふける.
- (悔い改めた)放蕩息子, 改心した道楽者.
- 彼は若いころ放蕩の限りを尽くした.
- 若い時は遊んだ人だ、若い時は放蕩した
- 彼は放蕩をしてひどく身体を害した
- 放蕩の極身を亡ぼした
- 放蕩息子はやっと目が覚めたとみえる
- 放蕩息子はやっと目を覚ましたと見える
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