指令以前の標準
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 00:22 UTC 版)
「メンデンホール指令」の記事における「指令以前の標準」の解説
1834年10月、イギリスのウェストミンスター宮殿が焼失(Burning of Parliament)し、そこで保管されていたイギリスの長さと重さの原器も焼損した。1855年に新しい原器が作られたとき、2つのヤード原器の写しと1つのポンド原器の写しがアメリカ合衆国に贈られた。これらはアメリカで使用しているヤードよりも優れていたので、そのうちの1つがアメリカのヤードの国家標準に採用された。このアメリカのヤード原器は、1876年と1888年にイギリスへ持って行ってイギリスのヤード原器と再比較された。イギリスから提供されたポンド原器は、アメリカのポンド原器(ミント・ポンド)と質量が一致したため、ミント・ポンドが国家標準のままとされた(ただし、NICTのサイトでは、ミント・ポンドがイギリスから贈られたポンド原器に置き換えられたとしている)。 これらはアメリカ合衆国における「慣用単位(customary unit)」(ヤード・ポンド法のアメリカにおける呼称)の原器であった。しかし、これとは別に、財務省度量衡局(後の国立標準技術研究所(NIST))にはメートル法の原器が存在した。
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