拡充期
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1928年10月、全国の軍政は統一され、国民革命軍総司令部航空処は軍政部航空署に改編された。飛機隊2個と水面飛機隊1個を保有していたが、後に航空隊に改称され、5個隊に拡充された。しかし国民政府による統治はまだ不安定で、東北空軍、広西空軍など一部の有力な軍閥空軍は中央空軍に編入されず勢力を温存していた。中でも中原大戦では西北軍空軍が中央空軍と中国史上初の空中戦を展開するなど、大きな脅威となった。加えて1931年5月に陳済棠が広州国民政府(第5次広東政府)を樹立すると張恵長、黄光鋭、陳慶雲ら中山航空隊以来の古参軍人が離反して同空軍に加わるという痛手を負った。これらの私設空軍は、海外の航空専門家からは「阿片空軍」と呼ばれた。 1928年10月、国民政府は空軍兵力の中央人員を養成するため、南京の中央陸軍軍官学校内に航空隊を設立。のち杭州の筧橋に移転し「中央航空学校」を称する。教育はジョン・ジュエット元大佐率いる米国軍事顧問団が担当し、厳格な審査基準で既存パイロットも容赦なくふるいにかけられた。 第一次上海事変では、日本海軍の空母「加賀」「鳳翔」艦載機と3度の空中戦を展開。最初の空中戦では双方不慣れだったため戦果はなく、2回目はアメリカ人義勇兵のロバート・ショート(英語版)が加賀航空隊の生田乃木次に撃墜されるが、3回目は石邦藩ほか1名が加賀航空隊の一三式艦上攻撃機2機を撃墜した。当時、戦闘機はV-65Cコルセア(英語版)やボーイング218、爆撃機はユンカース W33(英語版)やユンカース K47(英語版)等を使用していた。 事変後の1932年春には8個隊にまで拡大するが、同年8月に4個に縮小。1933年、轟炸(爆撃)、駆逐、偵察の3隊が増設され、同時に航空教導総隊が編成された。 1933年、満州事変で拠点を追われた旧東北航空の人員や器材を接収。1933年2月、航空署の全職員は空軍階級に変更。空軍階級は、例えば中校→空軍上尉、中将→空軍上校というように本来より2階級低く設定されたが、待遇自体は元の階級と変わらなかった。また航空部隊は整備され、飛行人員の一部は中央航空学校高級班で再教育を受け、一部の非軍事学校出身者は中央陸軍軍官学校で軍事訓練を受けた後、中央航空学校に送られた。 1933年、カーチス・ホークⅡ、ローニング水陸両用機、アブロ621練習機(英語版)を購入するも、福州で揚陸されていたところで福建事変が起こり、19路軍に鹵獲され広東空軍の手に渡った。これらの航空機は中央空軍の空爆の際破壊されたが、多くは無傷のまま鹵獲されており、あらかじめ広東空軍の人員が中央軍に買収されていた可能性もある。翌年12月1日には陳銘枢ら中華共和国残党が中国共産党と合同で福建区第一次人民大会を開催したため、群衆に爆弾を投下した。また同時期、江西省の剿共作戦にも投入され、長征の列への偵察・空爆に活用された。朱徳の左腕に負傷を負わせたものの、決定的な損害を与えるには至らなかった。 1934年5月、航空署は航空委員会に改編され、軍政部から独立して軍事委員会直属となった。蔣介石が委員長、弁公庁主任に陳慶雲(のち周至柔)が就任し、その下に5処17科の部署が設けられた。航空隊は8個に拡大した。第1隊(隊長:邢剷非)と第2隊(隊長:王勳)は轟炸隊であり、第3隊(隊長:張有谷)、第4隊(隊長:劉義曾)、第5隊(隊長:楊亜峰)の3隊は偵察兼轟炸隊、第6隊(隊長:王伯嶽)は偵察隊、第7隊(隊長:王天祥(中国語版))と第8隊(隊長:高志航)は駆逐(戦闘)隊であった。また同時期、ジュエットの米軍事顧問団に代わってシルヴィオ・スカロニ(英語版)少将、ロベルト・ローディ(英語版)准将ら150名からなるイタリア軍事顧問団を招聘し、イタリア式教練をベースとする洛陽分校を1936年に開校した。 1935年、第9から第14隊が編成され、それに伴い各地の飛行場が急務となった。日本軍の調査では、開戦直前の主要飛行場数は華北37、華中49、華南22、奥地32となっている。各飛行場は規模や用途、戦略ごとに区分けされており、平時に航空隊が駐留する主要都市の「第三線飛行場」、有事に爆撃機隊が出撃拠点や戦闘機隊が待機地として展開する「第二線飛行場」、そして最前線の「第一線飛行場」に区分されていた。第三線飛行場に該当する南京の大校場機場(中国語版)、南昌の青雲譜飛行場(中国語版)、漢口の王家墩飛行場、杭州の筧橋飛行場、西安の西関飛行場(中国語版)(1937年より)、広州の天河飛行場(1936年より)、漢中などの大型飛行場は1935年6月以降、空軍総站に指定され、航空隊の補給や修理などのバックアップ以外にも近郊の第二線、第一線飛行場の管理運営を任されるようになる。站長は主に軍閥出身の元パイロットが任ぜられ、下は少尉から始まり、総站クラスとなると少校~中校クラスがなった。第二線飛行場は信陽、玉山など、第一線飛行場は洛陽金谷園飛行場、周家口飛行場などが挙げられる。 1934年8月、筧橋飛行場(英語版)近隣に中央杭州飛機製造廠を、南昌の青雲譜飛行場近隣に中央南昌飛機制造廠を設立。イタリア軍事顧問団の技術者を招聘し、指導が行われた。 また、北伐直後より国民政府は防空体制の在り方も模索しており、1932年に高射砲を輸入して高射炮班を設立。1934年1月1日に高射砲隊と人民防空研究班を合併させ筧橋に中央防空学校を設立(1935年12月に南京光華門付近に移転)、同卒業生で年内には高射砲部隊を大隊規模にまで拡充した。1934年11月12日、南京で首都防空演習が実施されると、防空網の拡充や民間団体による防護団の組織が求められる。浙江省では保安司令部会と中央航校により防空監視哨の設置が行われ、また1936年春に中央防空学校にて防護団が組織、同年秋には「各地防護団組織規則」が制定された。1935年9月より米国や英国などの投資のもと、南京や上海に無電台を設置するなど防空網の整備に取り掛かり、その設置運営は陳一白ら藍衣社系人員が中心となって行われた。また、中央航校では崔滄石らにより陸軍との連携作戦のため陸空連絡専門員の育成がなされた。同年11月には京杭鎮三市合同防空演習を実施、これをきっかけとして杭州防空司令部が設立される。日中戦争勃発(1937年)前後、各省にも防空司令部や省会防護団の設置が行われた。勃発時点では浙江省だけで防空監視哨78箇所、省会防護団は8個区団の下に32個分団、また高射砲部隊は陸軍砲兵第41団、第42団の2個団を保有していた。このため、日本軍からは航空作戦基盤は比較的整備されていたものと見られた。 1936年5月に発生した両広事変(中国語版)の折、藍衣社やCC団により西南派・新広西派の所有する広東、広西空軍に買収工作が行われ、両空軍のパイロットが中央空軍に多く帰順した。また、同時期に雲南や山西航空処、四川など各地に残存していた旧軍閥の私設航空隊を接収、海軍の福建及び青島海軍航空隊をも吸収したことで、中央空軍の航空戦力は1937年までに8個大隊にまで拡大した。また、航空機も刷新が図られたが、購買を担当した財政部内部の派閥闘争や前述の軍閥の急速な吸収で機種の方向性を統一できず、それぞれ軍事顧問団を招聘したアメリカ合衆国のカーチス・ホークⅢ(英語版)(新ホーク)、カーチス・シュライク、B-10やP-26やイタリアのブレダ Ba.27(英語版)、フィアット CR.32のほか、ドイツのハインケル He111やJu 52など様々で、合計314機であった。 開戦直前の1937年当時の編成および各隊の使用機は以下の通り。 1937年時点の中国空軍編成大隊隊長副隊長任務中隊隊長副隊長機種機数駐屯地第1大隊 曹文炳 孫仲華 爆撃 第1中隊 李賜禎 田相国 ノースロップ・ガンマ2EC(英語版) 9 南昌 フリート モデル7(英語版) 1 第2中隊 徐康良(中国語版) 粛起鵬 ノースロップ ガンマ2EC 9 第2大隊 張廷孟 孫桐崗 爆撃 第9中隊 謝郁青(代) 全正喜 ノースロップ ガンマ2EC 9 広徳 第11中隊 龔穎澄 汪雨亭 ノースロップ ガンマ2EC 9 第14中隊 黄正裕 藍乗権 ノースロップ ガンマ2EC 9 第3大隊 蔣其炎 王天祥(中国語版) 戦闘 第7中隊 郝鴻藻 陳有維 カーチス・ホークⅢ(英語版) 9 句容 第8中隊 王天祥(中国語版) 梁亦権 ブレダ Ba.27(英語版) 2 フィアット CR.32 3 第17中隊 黄泮揚 金彬偉 ボーイング モデル281 10 第4大隊 高志航 鄧伯堅 戦闘 第21中隊 李桂丹 劉志漢 カーチス・ホークⅢ 10 周家口 第22中隊 黄光漢 頼名湯(中国語版) カーチス・ホークⅢ 9 第23中隊 毛瀛初(中国語版) 李克元 カーチス・ホークⅢ 9 フォッケウルフ Fw 44 1 第5大隊 丁紀徐 馬庭槐 戦闘 第24中隊 劉粋剛 梁鴻雲 カーチス・ホークⅢ 10 楊州 第25中隊 胡庄如 董明徳 カーチス・ホークⅢ 9 第28中隊 陳其光 陳瑞鈿 カーチス・ホークⅡ 9 フォッケウルフ Fw 44 1 第6大隊 陳棲霞 李懐民 偵察 第3中隊 孫省三 彭亜秀 ダグラス O-2MC(英語版) 9 杭州 第4中隊 譚以徳 ダグラス O-2MC 9 南京 デ・ハビランド DH.60 2 杭州 第5中隊 蕭五韶 ダグラス O-2MC 9 第15中隊 黄志剛 余平恩 フィアット CR.32 9 南京 カプロニ Ca.111(英語版) 7 第7大隊 譚寿 楊亜峰 偵察 第6中隊 金雯 范伯超 チャンス・ヴォートO3U-2(英語版) 9 西安 第12中隊 安家駒 沈延世 チャンス・ヴォートO3U-2 9 第16中隊 楊鴻鼎 王平 チャンス・ヴォートO3U-2 9 第8大隊 謝莽 爆撃 第10中隊 張之珍 韓錫倫 ダグラス O-2MC 6 南昌 サヴォイア・マルケッティ S.72(英語版) 6 第19中隊 黄普倫 ハインケル He111 6 第30中隊 石友信 李忠儂 マーチン 139W 6 第9大隊 劉超然 張仲華 攻撃 第26中隊 王漢勲 唐元良 カーチス・A-12 シュライク 10 広徳 第27中隊 孟広倍 張旭夫 カーチスA-12シュライク 10 独立中隊 偵察 第13中隊 李逸儕 李英茂 Bre.273 8 徐州 偵察 第18中隊 楊一白 ダグラス O-2MC 9 広州 チャンス・ヴォートO3U-2 6 偵察 第20中隊 敖源清 容章炳 チャンス・ヴォートO3U-2 9 漢口 戦闘 第29中隊 何經渭 鄧伯強 カーチス・ホークⅢ 9 広州 カーチス・ホークⅡ 3 偵察 第31中隊 鄧顕綱 陳晉 ダグラス O-2MC 9 西安 戦闘 第32中隊 張伯寿 韋一青 九一式戦闘機 9 南寧 爆撃 第34中隊 鄧堤 ウェストランド ワピチ(英語版) 9 桂林 暫編大隊 陳有雄 連絡 第32中隊 ? 徐卓元 ダグラス O-2MC 25 嘉興 戦闘 第34中隊 周庭芳 カーチス・ホークⅡ 偵察 第35中隊 許思廉 チャンス・ヴォートO3U-2
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