打狗港
打狗港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 03:07 UTC 版)
清朝による台湾統治が開始されると台南が行政の中心となった。高雄地区は台南に近く、また漁業、塩業、糖業、稲作が盛んであったため「南路米由打狗販運」と称されるようになった。打狗は漁港としての機能以外に、商業港としての機能も有し、清代中期以降に安平港が堆積物により大型船舶の入稿ができなくなると、打狗港の商業港としての役割はますます重要性を帯びるようになった。1855年(咸豊5年)、アメリカの威廉安遜洋行が打狗港の建設を条件に通称特権を入手すると、4万5千両を投資し打狗港の近代化が図られ、国際貿易の開端が築かれた。 1860年(咸豊10年)、清朝は北京条約により淡水、鶏籠、安平、打狗の4港の開港を迫られた。1863年(同治)に打狗は正式開港に開港し、翌年税関が開設、これに伴いイギリス領事官も淡水から高雄地区に移転している。 詳細は「打狗港」および「打狗英国領事館」を参照
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