才賀電機商会の破綻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 23:42 UTC 版)
設立した鉄道会社などから工事代金を株式で受け取り、それを担保に金融機関などから融資を受けさらに新規事業に投入するという形で拡大を続けた才賀電機商会であったが経理は不透明であり、取引金融機関にさえ営業報告書を提出しなかった。そして三井の不正手形事件がおこってからは金融機関が手形に対して警戒を強め、手形割引しづらい状況ができていた中、明治天皇の大喪の礼により一斉に銀行が1912年9月13日より15日まで臨時休業した。その結果地方からの入金が滞ったため9月16日不渡りをだし、才賀電機商会はいきづまった。 才賀は北浜銀行の岩下清周や日本生命の片岡直温らに救済を求めた。紆余曲折のうち岩下清周は日本興業株式会社を設立して再建に向かって動き出したが、その後日本生命は手を引き北浜銀行が破綻したため、日本興業は解散せざるを得なくなり、救済はならなかった。 関係する会社の代表を退いた才賀は日本興業で一社員として勤めることとなりその後1915年に亡くなった。宮崎鉄道では弔慰金100円を支給している
※この「才賀電機商会の破綻」の解説は、「才賀藤吉」の解説の一部です。
「才賀電機商会の破綻」を含む「才賀藤吉」の記事については、「才賀藤吉」の概要を参照ください。
- 才賀電機商会の破綻のページへのリンク